海軍型
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「An-71 (航空機)」の記事における「海軍型」の解説
1984年に試作機の製造契約が結ばれる以前、研究段階の1982年から83年頃にかけて、カタパルト装備のウリヤノフスク級原子力空母での運用を前提とした海軍型の検討が行われた。このプランにはAn-71KまたはAn-75の仮称が与えられ、レーダーシステムは「Kvant-M」を装備し、レドームは垂直尾翼上端から胴体背面へ移設、あるいは胴体下面にゴンドラ式に装備されるなどのアイデアが出されたが、全備重量で30トンを超え、全幅で30メートルを超える機体を空母の格納庫に収まるサイズに再設計する時間と費用が現実的ではないと判断されたことから、Ka-27ヘリックスのAEW型(のちのKa-31)が採用された。 なお、しばしば誤解されているが本機の海軍型が放棄されたのはYak-44に破れたからではない。1979年からヤコブレフ設計局が艦上AEWの研究をしていたのは事実であるが、それはYak-443という2基の推進エンジンと4基のリフトエンジンを持つもので、リフトエンジンによって増大した搭載燃料のためにレーダーシステムが積めない、また予定していたレーダーシステムである「Fakel」の開発失敗などにより、1983年には開発が停止状態となっていた(そのために計画中の本機の海軍型のアイデアが持ち上がった)。現在、Yak-44として知られるプログレスD-27ターボプロップ双発のYak44Eの開発がソビエト閣僚会議で認可されたのは、1989年1月のことである。
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海軍型
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「スーパーマリン スピットファイア」の記事における「海軍型」の解説
第二次大戦勃発時にまともな艦上戦闘機を持たなかったイギリス海軍艦隊航空隊(Fleet Air Arms、FAA)は、艦上戦闘機としてハリケーンとスピットファイアのどちらが相応しいか調査を開始した。 1941年、FAAは空軍のスピットファイアMk.Vを100機借用した。FAAは54機を慣熟訓練用として運用し、残りには応急的にカタパルト用フックとアレスティング・フックを取り付け、離着艦テスト用の機体"Hooked Spitfire"として空母イラストリアスで試験が行った。 この試験の結果を受けて、最初から陸上機として生産されたスピットファイアに空母で運用するための着艦フックや折りたたみ式の主翼など艦上機用装置を装備すると共に機体構造を強化されたものが生産され、実戦部隊に配備された。スピットファイアは主脚の間隔が狭かったために安定した着艦が難しく、着艦時の事故が頻繁に発生したが、主脚の構造を艦上機として再設計している余裕がなかったため、設計の変更はなされていない。しかし、イギリス海軍にとって新型艦上戦闘機の導入は急務であったため、生産と配備は継続された。真っ先に投入されたのはソビエト連邦に向かう輸送船団で、第二次世界大戦中の北極海における輸送船団でアヴェンジャーなどの護衛空母に搭載された。 イギリス海軍向けのスピットファイアはシーファイア (Seafire) と呼称された。これは「海軍向けスピットファイア」を意味する「シースピットファイア (Sea Spitfire)」を省略したものであるが、Seafireとは日本でいうところの「不知火」を指す言葉でもある。スーパー・スピットファイアの艦上機型(MK. 45~47)を「スーパー・シーファイア」と呼ぶ事もあるが、公式な名称ではない。
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