よど‐がわ〔‐がは〕【淀川】
よどがわ〔よどがは〕【淀川】
淀川
日本最大の湖「琵琶湖」を源とする淀川は、その上流部では瀬田川、中流部では宇治川と呼ばれ、京都府・大阪府境界付近で桂川、木津川と合流した後は淀川となり、大阪市をはじめとする近畿圏の中心部を貫き大阪湾に注ぐ流域面積8,240km2、幹川流路延長75.1kmの一級河川です。 |
大阪市中心部を流れる淀川 |
河川概要 |
| ○拡大図 |
1.淀川の歴史 |
"明治時代、淀川改修工事においてオランダ人技師 デ・レーケは、「粗朶沈床工」を用いて航路を確保しました。 舟運の衰退後、この粗朶沈床工が現在のワンドとなり、天然記念物のイタセンパラが生息するなど、生物にとって貴重な環境となっています。" |
特有の歴史、先人の知恵の活用 淀川は長岡京(784年遷都)や平安京(794年遷都)の頃から、都と瀬戸内海を結ぶ交通の大動脈として利用されていました。江戸時代の大阪は「天下の台所」として繁栄しましたが、その基礎となったのも淀川の水運でした。 ところが明治初めの淀川は、上流から流れてくる真砂(花崗岩が風化した砂)が堆積し、水深およそ40cm。流心は一定でなく、昨日の澪筋は今日の浅瀬と変わり、航路は迂余曲折し、40石積みの舟がようやく航行できるというありさまでした。河床の浅いところでは数人の人夫が小舟に乗り、鋤簾で土砂をすくい、舟を進める「澪掘り」という一時しのぎで、わずかに航路を維持していました。 |
淀川の航路を整正し、船を通すための工事を行った結果、淀川の営みと相まって、非常に良好な淀川の河川環境が創造されたと言えるでしょう。 |
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4.淀川の主な災害 |
"昭和34年9月の台風15号(伊勢湾台風)では、名張市街全域が濁水の中に没するなど、木津川流域で過去最高の流量を記録しました。" |
昭和28年9月25日出水について 9月16日トラック島付近に発生した熱帯性低気圧は、18日午前9時台風13号となりました。台風はその後も発達しながら北西に進み、22日には中心気圧897hpa、最大風速75mの猛烈な台風となりました。台風は北北東に進み25日午後5時30分志摩半島に上陸し本州を縦断して、26日朝奥羽地方東沖に抜けました。 淀川本川沿岸では、右支川芥川とその右小支川女瀬川との合流点付近で、25日右岸約150mが決壊、本川の水は芥川を逆流して決壊口より氾濫し、富田町・三箇牧村・味生村一帯の1,700haが浸水しました。右支川檜尾川では、左岸堤約60mが決壊、約500haが20日間浸水し、低地の京阪神急行線を途絶させました。 その他、左岸においても数カ所、総延長1,000mに渡り表のりを崩壊し、堤防の漏水と内水のために約15haが浸水しました。 堤防の決壊は400箇所に達し、府県下重要国府県道は国道24号線のほか56路線に及ぶ433箇所が通行不能となりました。また、橋梁流出は、国府県道その他にわたり359橋を数えるに至りました。
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(注:この情報は2008年2月現在のものです)
淀川
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/08 13:29 UTC 版)
淀川(よどがわ)は、大阪湾に注ぐ日本の一級河川。滋賀県、京都府および大阪府を流れる淀川水系の本流である。琵琶湖から流れ出る唯一の河川である瀬田川(せたがわ)が宇治川(うじがわ)、淀川と名前を変える。流路延長75.1 km、流域面積8,240km2。なお、先述の流路延長は琵琶湖南端よりの延長であり、河口から最も遠い地点は滋賀県・福井県の分水嶺である栃ノ木峠であり、淀川の源の石碑が設置されている[1]。敦賀駅より北に位置するこの場所は琵琶湖へ流入する河川・高時川の水源地であり、そこからの河口までの直線距離は約130km、流路延長に換算すると約170kmとなる。
注釈
- ^ 観月橋の南のたもとに淀川維持區域標の石柱が、大津市晴嵐1丁目の琵琶湖岸に琵琶湖と瀬田川(淀川)とを区別する河川管理境界標が建てられている。
- ^ 古代には淀川・大和川ともに河内湖(草香江、歴史をさらにさかのぼると河内湾)に流入していた。
- ^ ただし地名としての瀬田は、明治時代になって瀬田村が成立した際に初めて現れた。一般的には瀬田は瀬戸が転化したものであるとされ(世田谷区の瀬田も同様)、両側を山に挟まれていることから地形由来で瀬田の名前が付いたと推測される。
- ^ 大越のこの功績を讃え、1905年(明治38年)、石山寺境内に記念碑が建立されている。
- ^ なお、水質は「(きれい)貧腐水性・β-中腐水性・α-中腐水性・強腐水性(汚い)」となる。
- ^ 琵琶湖疏水の行先は複数あるが、ここでは旧高瀬川に流入するものを指して言っている。
- ^ 山名川・琵琶湖疏水・新高瀬川が合流
- ^ 桂川・木津川合流
- ^ 芥川合流
- ^ 山崎太郎とも呼ばれ、瀬田の唐橋(勢多次郎)、宇治橋(宇治三郎)とともに日本三古橋の一つに数えられる。
出典
- ^ “高時川のようす 淀川源流をたずねて|長浜市の自然の様子|わたしたちの市の様子|わたしたちの長浜”. 長浜市教育センター. 2020年3月24日閲覧。
- ^ “淀川 名前も流転(とことんサーチ) - 日本経済新聞”. www.nikkei.com. 2023年3月21日閲覧。
- ^ 小野芳朗『水の環境史「京の名水」はなぜ失われたか』(PHP新書)PHP研究所、2001年 p.183 ISBN 9784569616186
- ^ 小野芳朗『水の環境史「京の名水」はなぜ失われたか』(PHP新書)PHP研究所、2001年 p.184 ISBN 9784569616186
- ^ 尾藤徳行 (2013年7月27日). “淀城跡”. 第247回 京都市考古資料館文化財講座. 京都市埋蔵文化財研究所. 2019年9月7日閲覧。
- ^ 竹林 & 今井 1995, p. 410.
- ^ “新近江名所圖會 第260回 「大日山」の掘削 -大津市黒津町- | 公益財団法人滋賀県文化財保護協会”. 滋賀県文化財保護協会 (2017年10月4日). 2021年1月16日閲覧。
- ^ “治水の歴史”. 水のめぐみ館「アクア琵琶」. 2021年1月16日閲覧。
- ^ 古田 1965, pp. 41–42.
- ^ a b 竹林 & 今井 1995, pp. 410–411.
- ^ 竹林 & 今井 1995, pp. 411–412.
- ^ 暁鐘成「雲錦随筆」吉川弘文館(日本随筆大成 巻2)1927年(昭和2年)、44頁
- ^ a b 竹林 & 今井 1995, p. 412.
- ^ 国土交通省近畿地方整備局琵琶湖河川事務所、独立行政法人水資源機構琵琶湖開発総合管理所 (2014年1月). “瀬田川洗堰操作規則制定までの道のり”. 国土交通省近畿地方整備局. 2021年1月16日閲覧。
- ^ “今週の今昔館(155) 長柄三頭 20190319”. 2019年3月19日閲覧。
- ^ 大阪春秋第19号. 大阪春秋社. (1979-01-30)
- ^ 淀川かわあるき=Guide Maps of Yodogawa:淀川ガイドマップ. 読売連合広告社. (2008-03-10)
- ^ 日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年9月27日、33頁。ISBN 9784816922749。
- ^ 京阪、大阪・天満橋~枚方に定期観光船 9月から運航 『日本経済新聞』朝刊2017年7月26日(関西経済面)
- ^ 津田松苗「10-汚水と生物」『原色現代科学大事典 4-動物1』久米又三 著(代表)、学研、1967年、p.231「図2 淀川の水質汚濁の変遷」より抜粋。
- ^ 津田松苗「10-汚水と生物」『原色現代科学大事典 4-動物1』久米又三 著(代表)、学研、1967年、p.230-231「淀川の生物的水質判定」
- ^ 参考文献・京都新聞連載記事「潤いをとどけて・京都市水道100年」2012年8月21日掲載『8)返したい美しい水』京都市印刷物 第026021号『京の水だより Vol.12 京都市下水道90周年(2020年8月)』
- ^ 京都市広報「きょうと市民しんぶん」平成25年1月1日号3面掲載の「東部クリーンセンターの持ち込みゴミの受付終了」より
- ^ 淀川河川敷の違法グラウンド撤去へ 長年の「無法状態」動かしたきっかけとは 毎日新聞 2020年12月18日
淀川(よどがわ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/17 08:03 UTC 版)
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