渡日と発病
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 02:42 UTC 版)
1925年(大正14年)3月に12歳で内地に渡り、同年4月から東京の女子学習院に編入学する。日本では徳恵姫(とくえひめ)と呼ばれた。女子学習院の同窓生には、尾崎雪香(尾崎行雄の三女)がいた。雪香の回想によれば、徳恵は口数が少なく運動が苦手であった。 当時、異母兄李王垠・同妃方子女王は第1子を喪って以降なかなか子に恵まれず、方子女王は徳恵のために朝鮮料理を作る等、親身に接した。 1926年4月に薨去した異母兄:李王純宗の見舞いや葬儀の際、1929年(昭和4年)5月に逝去した実母の梁貴人の葬儀の際には、それぞれ京城に戻っている。 実母と死別後の1930年頃から奇行が現れ、登校拒否や不眠の症状があったため病院で検査の結果、「早発性痴呆症」(現在の統合失調症)の診断を受けている。 1929年撮影、母・福寧堂貴人梁氏の葬儀にて
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