特急形車両
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/14 20:48 UTC 版)
特急形車両(とっきゅうがたしゃりょう)とは特別急行列車(特急)の運用を目的とした鉄道車両のこと。座席車と寝台車の2種類がある。
注釈
- ^ 実質普通列車専用とされた戦災復旧車である70系と木造客車を鋼体化した60系の三等車(オハニ63形→オハニ36形を除く)を除いて優等列車の運用を前提に設計されていた。
- ^ スハ44系については登場時は固定された前向きシートであり、デルタ線を使用して方向転換せざるを得なかったため、後に回転クロスシートに改造された。
- ^ これらに限らず、旧型客車が製造された時代の客車は戦災復旧車と鋼体化改造車の普通車を除いて登場間もない頃は優等列車への使用が優先されていた。国鉄の現場では一般形客車と呼ばれていたが、元来、「一般形客車」とは50系客車で採用された区分であり、国鉄の定義では「客室に出入口を有し、横型(ロングシート)および縦型腰掛(クロスシート)を備え、通勤輸送に適した性能を有する車両形式のもの」を指すものである。50系以外の客車は明確に一般形の区分に分類されるものではない(一般形車両 (鉄道)#旧型客車も参照)。 岡田誠一は10系以前の客車には正式な意味で特急形や急行形[2]、一般形に分類するようなことはしていないことを説明している[3][4]。
- ^ ただし、20系を使用する列車の近代化は電車・気動車と異なり完全な近代化は未完で、電化区間は戦前形電機のバージョンアップに過ぎないEF58形、非電化区間は蒸気機関車での牽引であった。これは、ED60形を嚆矢とする国鉄新性能電機群が主に低速の貨物列車の近代化を優先したことと、この時点ではディーゼル機関車の開発が途上だったためである。蒸気機関車は後にDF50形を経てDD51形・DE10形へと置き換えられていくが、電気機関車の方はEF65形の投入が始まるも、なおEF58形による運用は残った。これは前述の理由によるもので、メカニズム的には進化していても旅客列車用として見た場合にEF58形を超える直流機関車はEF66形まで待たねばならない(最初から新性能世代であり、また理想的な電圧制御が可能なため速度特性で貨物・旅客を分ける必要のない交流用電気機関車はまた事情が異なる)。このEF66形にしても貨物列車の100km/h牽引化のために設計された機関車であり、旅客を前提とした機関車はEF58形の補完用として製造されたEF61形を最後に途絶えている。20系使用列車の直流電化区間での牽引機はヨン・サン・トオ改正時に制動装置が高速対応となってEF65形に統一されるも、数年後には線路容量の逼迫に伴い規格ダイヤと呼ばれる低速化したパターンダイヤの導入もあって、再びEF58形牽引(20系対応の制動装置の取り付け改造を施したうえで)に戻ったケースさえあった。EF58形による旅客列車の定期運用はほぼ国鉄終焉まで続けられ、JR化後に至ってもJR東日本の89号機などは名目上動態保存とされつつもしばしばEF64形やEF65形の代走を行っていた。
- ^ ただし、キハ80系は最終減速比が異なるのみでメカニズムそのものは急行形・一般形気動車と同様であり、エンジンや変速機は急行形以下の車両と同一である。まったくの別システムとなるのは新エンジン・変速機のキハ181系からとなる。
- ^ その分、JR東日本の線内に限りグリーン車を利用する場合は新幹線および一部の特急を除いて乗車距離が300km以内のグリーン料金が他のJR各社(九州を除く)より240 - 1,000円安く設定されている。
- ^ なお、JR東日本はかつて、「秋田リレー」用に特急列車向けの車内設備を持つキハ110系300番台を保有していたが、将来の普通列車用車両への格下げを前提にしていたため、特急形ではなく一般形気動車の一員であった(理由は後述)。
- ^ 私鉄の有料特急列車は参宮急行電鉄(現:近畿日本鉄道)が嚆矢であるが、使用していた2200系電車は特急だけでなく、格下の種別にも使用していたため、必ずしも特急専用で使用していたわけではなかった。
- ^ 所属車両の約7割を2扉転換クロスシート車で占めていた時期があった。
- ^ 14系客車は急行形客車である12系客車を基本に設計され、その12系客車とも併結・混結可能であるが、14系は当初、特急列車のみで使用されていたため急行列車にも使用する余裕はなかった。
- ^ 24系は集中電源方式であることに加えて座席車の新製がなく、リーズナブルな座席車が求められる急行への本格的な転用は行われていない。24系のそのままの急行転用は「銀河」がほぼ唯一だが、これは「銀河」自体が特別視された列車であることにも起因している(20系格下げ転用開始もこの「銀河」が最初だった)。これは元々24系が14系をベースに集中電源化した形式であるため、設備的に隔たりがないことも理由である。この他、(20系と異なり電源電圧・周波数は同じ為)12系や14系から電源変換カプラーを介して給電する運用が可能で、定期運用では元々20系にスハフ12形からの受電設備を設けた1000・2000番台の取り替え用として「日南」「かいもん」で、14系寝台車の補完用として「はまなす」で運用された。なお2000年代に入って寝台特急が急速に衰退していく中で固定編成前提の24系は末期にはその状態を持て余し、フレキシブルな運用のために14系への逆置き換えが発生し、一部は逆に14系に編入改造された。北海道新幹線開業までの期限付きで存置された「北斗星」「トワイライトエクスプレス」を除くと、2006年までに運用を失っている。
- ^ 「きたぐに」については一部の車両をA寝台に改造している。
- ^ 私鉄の料金不要向けの特急車両の多くは扉を車体中央寄りに寄せて車端部をロングシートとした車体構造が多かったため、将来の一般車への格下げ改造が比較的容易だったというのもある。
- ^ 小田急電鉄の山本利三郎は「特急車は10年以上使うと陳腐化し、利用客から飽きられてしまう」と述べている[10]。
出典
- ^ ネコ・パブリッシング『JR全車輌ハンドブック2009』 p.15
- ^ 交友社『鉄道ファン』No.413 p 50
- ^ ネコ・パブリッシング『Rail Magazine』No.336 p 9
- ^ JTBパブリッシング 岡田誠一『国鉄鋼製客車Ⅰ』 p 239
- ^ グランプリ出版 塚本雅啓『戦後日本の鉄道車両』p.94
- ^ 梅原淳『鉄道・車両の謎と不思議』東京堂出版 p.176
- ^ JR東日本発足以降唯一の気動車特急である。
- ^ 一例として、ソウルから地方への行き方〜鉄道編〜 - コネスト
- ^ イカロス出版『台湾鉄道の旅 完全ガイド』p.100
- ^ 戎光祥出版 生方良雄『小田急今昔物語』p.69
特急車
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三菱ふそう車・日野車エアロバス/エアロクィーン(トイレなし)ほぼ高速車塗装車に統一されているが、貸切の旧デザイン塗装車も走っている。2019年には日野セレガが導入されている。
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