皇弟ドミトリーの死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/07 09:49 UTC 版)
「ボリス・ゴドゥノフ」の記事における「皇弟ドミトリーの死」の解説
1591年、フョードル1世の異母弟ドミトリーが謎の死を遂げると、ボリスはヴァシーリー・シュイスキーにその死因調査を命じた。 ヴァシーリー・シュイスキーは、ドミトリーがナイフを持って遊んでいたときにてんかんの発作を起こし、自分の持っていたナイフで喉を傷つけてしまった、と事故死として判断した。 しかし、ドミトリーは子供のいなかった兄フョードル1世の事実上の後継者であったことから、人々の間ではツァーリの座を狙うボリスの仕業だという噂がまことしやかに語られ、これ以降彼の人生に重くのしかかることとなった。 ただ、ボリスが関与したという話は確固とした証拠がなかったため、この時点では彼にさほど影響を与えなかった。
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