ちゃく‐しゅ【着手】
着手
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関連項目
着手
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/04 17:32 UTC 版)
「弦楽四重奏曲 (フォーレ)」の記事における「着手」の解説
1923年2月中旬にピアノ三重奏曲を完成したフォーレは、6月25日から約3ヶ月間オート=サヴォワ県の村アヌシー=ル=ヴューに滞在した。 78歳のフォーレにとって、高齢から来る無気力状態が嘆きの種だったが、アヌシー=ル=ヴューはフォーレお気に入りの地であり、8月25日には親友フェルナン・マイヨの主催により、フォーレの『レクイエム』やオネゲルの『ダヴィデ王』抜粋などの演奏会が開かれ、このとき自作を指揮したオネゲルと会っている。これらによって気力を取り戻したフォーレは、同年9月9日付けの妻マリーに宛てた手紙で、弦楽四重奏曲の着手について次のように報告している。 「私は毎日少しずつ曲を書いています。そう、ほんの少しです。これまで何度もあったように、この最初の模索がどんな運命をたどるのかまだ分かりません。実はピアノを使わない弦楽四重奏曲に着手したのです。これはベートーヴェンによって知られるようになった分野で、彼以外の人はみな恐れて、あまり手を付けていません。ためらってきました。サン=サーンスもそうで、それに取り組んだのはようやく晩年になってのことでした。そして彼の場合も、他の作曲分野のようにはうまくいきませんでした。そんなわけで、今度は私が恐れる番だとおっしゃるかもしれませんね……。だからそのことについては誰にも話してはいないのです。これからも目標に手が届くようになるまで、話すつもりはありません。『お仕事をなさっていますか』と聞かれても、私は図々しく『いいえ』と答えています。だから誰にもいわないでください。」 — 1923年9月9日付、妻マリーに宛てたフォーレの手紙 最初に書かれたのは第2楽章であり、9月12日に完成した。つづいて同年秋にパリの自宅で第1楽章が書かれた。 このころ、フォーレは音楽誌『ルヴュー・ミュジカル』編集者のアンリ・プリュニエールと親しくなり、同誌の特別号「ロンサールと音楽」のために歌曲の寄稿を依頼された。1923年11月3日にフォーレはプリュニエールの依頼を引き受け、ロンサールの詩に基づいて作曲を始めた。ところが、モーリス・ラヴェルもプリュニエールの依頼によって同一の詩を選んで作曲していたことが判明し、フォーレは自作の草稿を破棄してしまった。批評家のギュスターヴ・サマジルによると、このことを知ったラヴェルはパリ音楽院の師であったフォーレに優先権を譲ると申し出たものの、その内心は穏やかでなかったようだと述べている。フォーレにとって「遺言」ともなるはずだった歌曲は、このような経過によって失われた。
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着手
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 07:10 UTC 版)
着手の遅れていた湖南圏新空港であったが、1996年5月に2002 FIFAワールドカップの日韓共同開催が決定すると、翌6月、建設交通部が新空港の候補地を務安に確定、1997年より基本設計に着手し、ワールドカップ開催前の2001年には完成させる方針であると発表した。国会では全羅道選出議員が「湖南圏新空港の見送りが続いているのは地域差別」と批判、務安の予算反映を要求した。結局1997年度予算に62億5400万ウォンが盛り込まれた。 基本設計は1997年6月より開始され、これが務安国際空港開発事業の実質的な始まりとなった。基本設計の完了後、1998年12月に告示された「務安空港開発基本計画」 では、1997年から2002年までの事業期間で、2800m×45mの滑走路1本と253m×23mの誘導路1本、駐機場、旅客・貨物ターミナル、駐車場などを整備して開港、その後2010年までと2020年までの2段階で誘導路の増設や各施設の拡張を行う計画が示された。務安郡の現地では1998年10月に務安空港建設支援事業所が設置され、12月からは用地の買収が始められた。 こうして開始された務安国際空港開発事業は、周辺地域の開発にも大きな影響を与えた。1994年の「空港開発中長期基本計画」発表に際し、全羅南道は空港予定地の務安郡望雲面を土地取引許可区域に指定し、地域内での一定面積以上の土地売買には務安郡の許可が必要となった。しかし、同じ1994年に全羅南道道庁の移転候補地として務安郡南部の三郷面南岳里が選定されたこともあり、務安郡と周辺郡市で不動産投機が過熱した。また務安郡雲南面では韓国ファイバーが風力発電機の研究開発を行っていたが、風車が務安国際空港による高度制限にかかるため、同地での事業化は不可能となった。栄山江干拓事業の第4段階として、空港予定地を含む広い地域で実施される予定であった干拓事業は、実施後に務安国際空港の気象条件が悪化するという指摘があったことも一つの要因となって中止された。 また務安国際空港が開港すれば、全羅南道西南部の狭い地域に務安国際空港・光州空港・木浦空港の三空港が位置することになり、これらの空港の役割分担が問題となった。このうち木浦空港については、民間航空機能の務安移転は自明とみなされていたが、光州空港の扱いは不明確だった。光州空港では1996年2月、滑走路補修のため近い将来には長期間の空港閉鎖が必要になると空軍が指摘、対策として補助滑走路増設を要求する光州市に対し、建設交通部は現滑走路を部分補修しながら務安の新空港建設を進め、2001年に光州空港の民間航空機能を務安に移す案を主張していた。国会議員の韓和甲は光州市を対象とした監査において、全羅南道と協調して新空港建設を推進するよう市に求めたが、光州市側は務安の予算状況が不透明であることを理由に難色を示した。こうして、将来における両者の分担を曖昧にしたまま、務安国際空港の事業推進と光州空港の強化が進められることになった。
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着手
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 23:46 UTC 版)
『河を渡って木立の中へ』出版から2ヶ月後の1950年10月末、アドリアーナが母親とともにキューバのヘミングウェイを訪問した。彼女らは翌年2月初旬まで滞在し、ヘミングウェイは彼女らを持ち船「ピラール号」に乗せてカリブ海周辺の島々を案内した。アドリアーナはキューバでの滞在について、次のように回想している。 私は活気に溢れ、熱意がみなぎっていたので、それを彼に注ぎ込んだのだ。彼は再び書き始めたが、思いもよらず何もかもうまくいくように思えた。彼は書き終えると、別の著作に―私に言わせれば―遥かに優れた著作に取りかかった。彼は、いまや再び、しかも上手に書くことができた。それで彼は私に感謝した。 この回想に基づけば、ヘミングウェイはこの年のクリスマス・イヴに『海流のなかの島々』を書き上げ、さらに年内か遅くとも翌1951年1月早々には『老人と海』に着手したことになる。『海流のなかの島々』を編集したカーロス・ベイカーによれば、『老人と海』は『海流のなかの島々』とともに「海」の四部作として構想の一つに入っていたものが切り離されたものである。ヘミングウェイは従軍記者をしていたころに、第二次世界大戦に関する「陸・海・空」の物語を構想しており、『老人と海』はそのうちの「海」の第4部に相当していた。 ヘミングウェイが『老人と海』の草稿を書き終えたのは、1951年2月中旬だった。執筆期間はおよそ2ヶ月足らずと見られる。妻メアリーは、人目もはばからずアドリアーナに恋情を寄せるヘミングウェイに愛想を尽かし、別居後の自分の仕事の準備までしていたが、『老人と海』の草稿を読み、「これならば、あなたがわたしにさんざん加えたひどい仕打ちを、もう全部許してもいい」と告げた。同月下旬には版元スクリブナーズ社のチャールズ・スクリブナー(英語版)がハバナを訪れ、草稿を読んで絶賛した。
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着手
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/07 13:57 UTC 版)
黒と白が、交互に一つずつ石を置いていく(打つ、着手する)。黒が先手で、白が後手となる。 以下に述べる着手禁止点を除く、盤上のすべての空いている交点に着手して良い。パスも可能。
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着手
「着手」の例文・使い方・用例・文例
- 彼は新しい事業に着手しようとしている
- 政府は教育制度の改革に着手した
- この新しい仕事に着手することを楽しみにしている
- 彼らは長期の環境保護計画に着手した
- 着手資金を調達する
- 生涯の仕事に着手する
- 予定より遅れている.すぐに着手しよう
- 彼は新しい実験に着手した
- 彼が今春に実施設計と既存施設の解体工事に着手する
- われわれは二十二日までに、山田医科大と共同でがん登録支援システムの開発に着手した
- 改修プロジェクトに着手する
- 無菌動物を育てる最初の試みは1985年に着手された。
- 当社は営業力の強化を図るためチャネルマネジメントの改善に着手した。
- すぐに着手できますか。
- お約束したとおり、私はその改修に着手しました。
- その作業はまだ着手されていない。
- 私たちはその性能改善の検討に着手したい。
- 私たちはまだそれに着手していません。
- 私はまだそれに着手していません。
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