こうべ‐じけん〔かうべ‐〕【神戸事件】
神戸事件
神戸事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/17 14:01 UTC 版)
詳細は「神戸事件」を参照 事件は戊辰戦争の只中の慶応4年1月11日(1868年2月4日)に起こった。鳥羽・伏見の戦いの1週間後のことである。家老・日置帯刀率いる岡山藩の武装藩兵が、新政府の要請により摂津西宮の警備をするため西国街道を東上していた。兵庫開港にともない三宮から元町周辺は外国人の居留地となっていた。大砲方を含む総勢数百名余の隊列が、道幅の広くない三宮神社付近を通りかかった時、フランス人水兵数名が列を横切ろうとし、これを制止しようとする藩兵との間で小競り合いになった。騒ぎは隣接する居留地予定地を実況検分していた欧米諸国公使たちに銃口を向け、数回にわたり一斉射撃を加えるという事態に発展、生田川の河原で藩兵と米英仏兵との銃撃戦となったが、幸い死者はなく数名の軽傷者で騒ぎは収まった。 西欧列強は岡山藩の行為を諸外国に対する敵対行為とみなし、神戸沖の諸藩の船6隻を拿捕し、外国人居留地を占領した。神戸事件は明治新政権となって初めての外交事件だった。交渉に先立って朝廷は、「開国和親」を宣言した上で明治新政府への政権移譲を諸外国に対して初めて表明した。外交方(探索方改め)の弘道は家老・日置の代人として、国元岡山藩への連絡や、岩倉具視ら新政府当路の者に事件解決方を願って奔走した。 事件の顛末は、国際法「万国公法」を基に、長州藩士・伊藤俊輔(のちの博文)、弘道らの尽力により、岡山藩は諸外国側の要求を受け入れ、永福寺において列強外交官列席のもとで砲兵隊長の滝善三郎を切腹させると同時に部隊を率いた岡山藩家老・日置に謹慎を課す、という諸外国に譲歩した内容であった。事件は攘夷派の岡山藩としては許し難いことで、避けられなかったかもしれない。瀧の切腹を食い止めることができなかった弘道は、挫折感に打ちのめされ総髪(惣髪)をもって自責の意を表した。
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神戸事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:56 UTC 版)
「BTS (音楽グループ)」の記事における「神戸事件」の解説
2015年12月27日、「BTS LIVE <花様年華 on stage> ~Japan Edition~」神戸公演のリハーサル中にSUGAとVがめまいを訴え、病院で検査を受けた結果大きな異常こそなかったものの、安静にする必要があると診断された。Big Hit Entertainmentは2人を欠いた状態で完璧なコンサートはできないとし、開場後の27日午後、当日と翌日に予定されていた2日間の神戸公演の中止をTwitterにて朝鮮語で発表。会場内では混乱が生じた。公演開始時刻になって残りの5人がステージにあがり、3曲のみを披露して公演は終了となった。28日、メンバー全員が韓国に帰国。また、所属事務所は二人の体調に異常がないことを発表。29日、VがTwitterで「心配しないで、オッパはスーパーマン」と自身の体調が回復した旨をファンに伝え、SUGAもTwitterへ謝罪文を投稿。またSUGAは2016年1月10日、公式ファンカフェに長文の日記を公開し、休暇中にもう一度神戸ワールド記念ホールを訪れ、ファンに対して申し訳なく感じているとその心中を綴った。これは海外のファンを意識してか平易な文体で書かれていた。この件は、日本公演であるにも関わらず、所属事務所が最初に出した声明が朝鮮語であったこと、開場後の中止で発表があまりにも遅かったこと、翌日のVのツイートに謝罪の言葉がなく誠意を感じられなかったこと、翌々日にはSUGAとVが予定通り韓国のイベントに参加したことなど、対応の不十分さと理不尽さから、ファンのひんしゅくを買い、不満が続出することとなった。
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神戸事件
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「幕末の外国人襲撃・殺害事件」の記事における「神戸事件」の解説
詳細は「神戸事件」を参照 鳥羽・伏見の戦いから日も過ぎない慶応4年1月11日(1868年2月4日)、神戸(現・神戸市)三宮神社前において備前藩(現・岡山県)兵が隊列を横切ったフランス人水兵らを負傷させたうえ、居留地(現・旧居留地)予定地を検分中の欧米諸国公使らに水平射撃を加えた。明治政府初の外交問題となった。この事件により、一時、外国軍が神戸中心部を占拠するに至るなどの動きにまで発展したが、その際に問題を起こした隊の責任者であった滝善三郎が切腹する事で一応の解決を見た。
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