秦の八体・新の六体関連
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 05:48 UTC 版)
許慎が著したそのままの形を伝えるテキストは存在しないが、『説文解字』序文によれば、秦では公式書体として大篆・小篆・刻符・虫書(ちゅうしょ)・摹印(ぼいん、「摹」は「募」の「力」を「手」に変えた字)・署書・殳書(しゅしょ)・隷書の8つを定めていたという(秦の八体)。許慎から700年近くが経過した残巻は、懸針体という細長い書体が使われており、これが篆書体の初期形ともされている。 また前漢を簒奪し新を建てた王莽は、公式書体制定の際にこの八体を整理、古文・奇字・篆書・隷書・繆篆(びゅうてん)・鳥虫書(ちょうちゅうしょ)の6つにしたといわれている(新の六体)。 これら秦の八体・新の六体は、いずれも何らかの形で小篆と類縁関係にある書体であった。このうち代表的なものを以下に挙げる。
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