秦の始皇帝による郡県制の導入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 09:01 UTC 版)
「封建制」の記事における「秦の始皇帝による郡県制の導入」の解説
秦の始皇帝は天下を平定すると、李斯の提言により郡県制を採用した。史記「秦始皇本紀」では、王綰らが封建制度の採用を提案したのに対し、李斯は周の封建制度が失敗に終わって天下争乱のきっかけになったことを指摘して郡県制度を施行するよう主張したことが記されている。始皇帝はそれに対して次のように言い、李斯の主張の通りに郡県制を採用した。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}天下の共に苦しみ戦闘の.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}休(や)まざるは、侯王有るを以てす。宗廟を頼りて、天下初めて定むるも、又復して国を立つるは、是れ兵を樹てるなり。しこうして其の寧息を求むるは、あに難からざらんや。(現代語訳: 天下はみな苦しみ戦闘が止まない。各地に封じられた侯王あってのことだ。宗廟によって、天下を初めて平定した。また再び各地に人を封じて国を立てれば、各々が封国で兵を集めるだろう。その上で天下の安寧を求めるのが、難しくないということがあろうか。) —始皇帝、『史記』「秦始皇本紀」
※この「秦の始皇帝による郡県制の導入」の解説は、「封建制」の解説の一部です。
「秦の始皇帝による郡県制の導入」を含む「封建制」の記事については、「封建制」の概要を参照ください。
- 秦の始皇帝による郡県制の導入のページへのリンク