第四次マイソール戦争
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第四次マイソール戦争(だいよんじマイソールせんそう、英語:Fourth Anglo-Mysore War, カンナダ語:ನಾಲ್ಕನೆಯ ಮೈಸೂರು ಯುದ್ಧ)は、イギリス東インド会社とマイソール王国との間で南インドで行われた戦争。
- ^ ガードナー『イギリス東インド会社』、p.179
- ^ ガードナー『イギリス東インド会社』、p.180
- ^ a b c 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p.213
- ^ a b c d e f g h i j k l ガードナー『イギリス東インド会社』、p.187
- ^ a b c d e ガードナー『イギリス東インド会社』、p.186
- ^ a b c 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』年表、p.44
- ^ a b ガードナー『イギリス東インド会社』、p.181
- ^ a b c d ガードナー『イギリス東インド会社』、p.184
- ^ 1
- ^ 1
- ^ a b c d e ガードナー『イギリス東インド会社』、p.188
- ^ MYSORE The Wodeyar Dynasty GENEALOGY
- ^ a b チャンドラ『近代インドの歴史』、p.76
- ^ a b c ガードナー『イギリス東インド会社』、p.192
- 1 第四次マイソール戦争とは
- 2 第四次マイソール戦争の概要
- 3 戦争に至るまでの経緯
- 4 戦争への準備
- 5 参考文献
第四次マイソール戦争
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「コングリーヴ・ロケット」の記事における「第四次マイソール戦争」の解説
第四次マイソール戦争中、幾度かの機会に、ロケットが繰り返し投入された。これらのうちの一つにはアーサー・ウェルズリー大佐、後の初代ウェリントン公爵であり、ワーテルローの戦いで英雄として有名になる人物の戦闘が含まれる。フォレストの著作を引用すると、 "At this point (near the village of Sultanpet, Figure 5) there was a large tope, or grove, which gave shelter to Tipu's rocketmen and had obviously to be cleaned out before the siege could be pressed closer to Seringapatam island. The commander chosen for this operation was Col. Wellesley, but advancing towards the tope after dark on 5 April 1799, he was set upon with rockets and musket-fires, lost his way and, as Beatson politely puts it, had to "postpone the attack" until a more favourable opportunity should offer. Wellesley's failure was glossed over by Beatson and other chroniclers, but the next morning he failed to report when a force was being paraded to renew the attack.「この地点には(Sultanpet村落の近郊、図5)ティプーのロケット砲兵に遮蔽物を与える大きな丸屋根の仏塔、または木立が存在した。包囲がシュリーランガパトナ島へより近接して圧迫し始める前に、これが一掃されねばならないことは明白であった。この作戦のために選ばれた指揮官はウェルズリー大佐であり、1799年4月5日の夕暮れの後、仏塔の方へ向けて前進した。彼はロケットとマスケット銃の銃撃に襲われて道を阻まれ、ビートスンが丁重に書き表すところによれば、より好ましい状況が示されるまで「攻撃を延期」しなければならなかった。ビートスンや他の編史家によってウェルズリーの失敗は再び言い繕われることとなったが、翌朝、攻撃再起のため兵力を誇示した際、彼は報告に失敗している。」 "On 22 April [1799], twelve days before the main battle, rocketeers worked their way around to the rear of the British encampment, then 'threw a great number of rockets at the same instant' to signal the beginning of an assault by 6,000 Indian infantry and a corps of Frenchmen, all directed by Mir Golam Hussain and Mohomed Hulleen Mir Mirans. The rockets had a range of about 1,000 yards. Some burst in the air like shells. Others called ground rockets, on striking the ground, would rise again and bound along in a serpentine motion until their force was spent.「(1799年)4月22日、主要な戦闘の12日前、ロケット砲兵は苦労しながらイギリス軍野営地の後方へ迂回前進し、それから6,000名のインド歩兵とフランス人から成る部隊に強襲開始の信号を送るため「凄まじい数のロケットを同時発射した」。これらの歩兵部隊は全てMir Golam HussainおよびMohomed Hulleen Mir Miransに指揮されていた。ロケットには約1,000ヤード(約914m)の射程があった。いくつかは砲弾のように空中で炸裂した。グラウンド・ロケットと呼ばれた他のものは、地面を叩くと再びはね上がって前へ進み、力を使い果たすまで蛇行し続けた。」 イギリス側のある観察者、ベイリーという若年のイギリス軍士官によれば: "So pestered were we with the rocket boys that there was no moving without danger from the destructive missiles ...". He continued: "The rockets and musketry from 20,000 of the enemy were incessant. No hail could be thicker. Every illumination of blue lights was accompanied by a shower of rockets, some of which entered the head of the column, passing through to the rear, causing death, wounds, and dreadful lacerations from the long bamboos of twenty or thirty feet, which are invariably attached to them'."「我々と一緒のロケット兵の連中に酷く悩まされ、あらゆる移動は破壊的なミサイルからの危険なしにはすまされなかった……。」彼は続けている:「敵兵20,000名からのロケットとマスケット小銃の射撃には絶え間がなかった。雹がこれより厚くなることはない。青色光の全てのあかりにはロケットのシャワーが伴い、これらのうち幾つかは縦隊の先頭に命中し、後方まで突き抜け、死亡や負傷、そして酷い裂傷を引き起こした。これは20または30フィートの長い竹によるもので、常にこれらロケットに取り付けられていた。」 1799年5月2日、Seringapatamへのイギリス軍の最終的な攻勢の間に、イギリス側の1発の射撃が、ティプー・スルターンの要塞内部のロケット弾薬庫に直撃して爆発を引き起こし、黒煙から成る塔のような雲を生じさせた。これと共に炸裂による白色光の滝が銃眼のついた胸壁の間から湧き上がった。5月4日午後、要塞上の最後の攻撃がベアードによって指揮された際、彼は再び「恐るべきマスケットとロケットの射撃」に遭遇したが、これはさほどの助力とはならなかった。約一時間ほどで要塞は奪取された。ティプー・スルターンの正確な死亡時間は知られていないものの、おそらくもう一時間の間に彼は銃弾を受け、この戦争が事実上終了した。 Seringapatam陥落の後、600基の発射器、700発の使用可能なロケット、および推薬が詰められていない空のロケットが9,000発発見された。ロケットのうちの幾つかは、これらが焼夷弾として機能するようシリンダー部分を貫かれており、また幾つかには鉄製の尖らせた先端や、鋼製の刃が竹製の柄に縛着されていた。これらの刃を取り付けたことからロケットは飛翔の最終状態において非常に不安定となった。これは飛行する大鎌のように刃が旋回する原因となり、飛行軌道上にある全ての物を切り落とした。
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