第1編成
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JR東日本の2両(クモヤ443-1+クモヤ442-1)は落成以来勝田電車区(現:勝田車両センター)に配置されていたが、2003年(平成15年)にE491系に置換えられ廃車された。
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第1編成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 09:26 UTC 版)
オハ510-1 + オハテフ510-1 + オハテフ500-51 + オクハテ510-1 4両編成で、オハ510は自由席の窓付き車両、それ以外は指定席のオープン車両となっている。かつては5両編成だったが、後述のナハ29000形廃車に伴う第2編成増強のために1両減らされた。 牽引機関車はDE10形ディーゼル機関車で、専用塗装の1660号機または1661号機が使用される。DE15形が用いられた時期もあった。
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第1編成(F1001)
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「福井鉄道F1000形電車」の記事における「第1編成(F1001)」の解説
第1編成(F1001)は、2013年(平成25年)3月12日に北府駅隣接の車両工場へ搬入された。製造費は約3億1700万円。福井鉄道が中古車両を除く新型車両を導入したのは1962年(昭和37年)の200形導入以来50年ぶりのことであった。竣工は3月27日付。30日に招待客らによる試乗会が行われ、翌31日に越前武生駅にて出発式を行って営業運転を開始した。 第1編成の車体塗装は、オレンジ色を基調に車体下部にシルバーのラインを入れたものとなっている。この塗装は運行開始に先立って県民投票にて決定された。投票は「新型車両デザイン総選挙」と銘打って2012年(平成24年)9月に実施。デザイン案は福井鉄道と仁愛大学(越前市)の学生らが選定したもので、インパクトがありなおかつ北陸の寒いイメージを払拭しようとの狙いから、暖色系3色(オレンジ・赤・黄)の単色またはそれぞれ下部にシルバーのラインを入れる、という計6案が選ばれた。福井県内在住・在勤者を対象とする投票の結果、6案のうちオレンジとシルバーのデザイン案が投票総数6,606票の3割超(2,028票)の支持を集めたことから採用されている。 運行開始後から県民の注目を集めて人気を博し、特に1か月後のゴールデンウィーク期間中には沿線のイベントも重なって本形式で運行された各列車は満員となった。この人気によって福井鉄道の2013年度上期(4月 - 8月)における乗客数は前年同期比で約6万3000人増加(8.7%増)したという。 2014年(平成26年)には鉄道友の会より、バリアフリーに対応した車内設備が評価され、福井県内の鉄道事業者としては初となる「ローレル賞」を受賞した。なお、授賞式は同年10月17日、越前市の福井鉄道本社にて開催された。
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第1編成
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「伊豆箱根鉄道5000系電車」の記事における「第1編成」の解説
昭和59年(1984年)製造。車体は普通鋼製である。大雄山線は小田原行きか大雄山行きしかないため、前面行先表示器は字幕式ではなく「バイナリー・ヘッドマーク (Binary Head Mark) 」と称される装置を採用した。「小田原」と「大雄山」の表示を固定掲示して裏から電灯で照らすものである。光線の具合によっては点灯していない方の表示を読み取ることができる。
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第1編成(クモハ151-クモハ152)
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「上信電鉄150形電車」の記事における「第1編成(クモハ151-クモハ152)」の解説
1964年12月西武所沢車両工場製のクモハ414とクハ1453を、1978年8月に冷房化・新性能化改造したクモハ408-クモハ407がその前身である。前面は国鉄101系電車に影響された切妻3枚連続窓で、行先表示器が正面上部左側に設置されている。 1992年5月11日付で西武鉄道で廃車となり、同年11月7日付で入籍した。導入時には新性能化改造の際から装着していた空気ばね台車のFS372を、200形2次車や西武701系が装着しているコイルばね台車のFS342に換装している。1996年には同年10月1日から開始されたワンマン運転に伴う対応改造が施された。 当初の車体塗装はコーラルレッド1色だったが、1999年10月ごろからマンナンライフの広告車となり、同年放映された同社の製品「蒟蒻畑」のテレビCMにも登場した。その後何度か塗り替えられながらも2008年まで同社の広告車を務めた。同年の全般検査に際して広告が解除され、銀河鉄道999のラッピングが施された500形501Fに替わってアイボリー地に緑帯の塗装に変更された。なお2010年12月から2014年3月までは人権ポスターのラッピング車となったものの塗装を生かしたかたちでのラッピングであった。 行先表示器は当初、「高崎」「下仁田」など行先のみの表記であったが、1996年10月のワンマン化に際し、「高崎 - 下仁田」などと双方向表示されるようになった。2004年10月16日ダイヤ改正以降、通常運行の場合は「高崎 - 下仁田」または「高崎 - 上州富岡」が表示される。 2018年5月25日をもって営業運転を終了、同年6月30日の特別臨時列車をもって引退した。 150形第1編成(マンナンライフの広告塗装時代) 150形第1編成(ライン塗装) 切妻形の前面(クモハ151)
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第1編成 (9201)
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「岡山電気軌道9200形電車」の記事における「第1編成 (9201)」の解説
以下、2002年に導入された9200形第1編成 (9201) について記述する。
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