紀元前8世紀
紀元前700年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 14:51 UTC 版)
紀元前709年アッシリア王サルゴン2世がバビロンを陥落させ「バビロニア王」を名乗る。 フリギア王ミダス(ムシュキ王ミタ)がアッシリア王サルゴン2世に和平を申し入れる。 陘廷の戦いで、晋の分家である曲沃の姫称(後の晋の武公)が宗家の哀侯と小子侯を滅ぼす。 紀元前707年 - 東周の桓王が蔡・衛・陳と連合して鄭を攻撃したが撃退される(繻葛の戦い)。鄭の荘公はこの戦いで威信を高め「春秋の小覇」と呼ばれた。対して周王室の力の衰えが明らかになった。 紀元前706年 - スパルタのパルテニアイらによるタラス(イタリア半島南端の現タレントゥム)植民市の建設。 紀元前705年 - アッシリア王サルゴン2世死去。後継のセンナケリブはドゥル・シャルキンからニネヴェへ遷都。 紀元前704年 - 楚の熊徹が沈鹿の会盟を行い、王号を名乗る(楚の文王)。 紀元前703年 - アッシリア王センナケリブがバビロニア王メロダク・バルアダン2世を倒し、傀儡政権を擁立するがバビロニアの政情は不安定。 紀元前700年以前 - フリギア王国の「ミダス王の記念碑(英語版)(トルコのエスキシェヒル県のヤズルカヤ(英語版)遺跡)」が建てられる。 紀元前700年頃 - ヘシオドスの『神統記』『仕事と日』が成立。
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紀元前700年代
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詳細は「紀元前700年代」を参照 紀元前700年頃ギリシアで東方様式期から初期アルカイック期への移行。テーバイ出土の青銅製の「マンティクロスのアポロン神像(Mantiklos Apollo)」(ボストン美術館蔵)が作られる。 ユダ王国のヒゼキヤ王により、ギホンの泉からシロアム池に流れる地下水路が作られる。この地下水路から発見されたのがシロアム碑文で、最古級の古代ヘブライ文字が書かれている。 エチオピア最古のイェーハ(英語版)神殿が建立される。 ドイツ北部でヤストルフ文化(ヤストルフ期)が成立する( - 紀元前400年頃)。 シベリア南部ミヌシンスク盆地を中心にタガール文化が成立する( - 紀元前300年頃)。この地は当時ユーラシア大陸最大の青銅器の産地であり、大規模な墳丘墓(クルガン)が発見されている。 メキシコのオルメカ文化の影響を受けチアパデコルソ(英語版)を中心とするソケ文化が成立する。 メキシコのバルサス川(英語版)流域でメスカラ文化(英語版)が成立する( - 紀元前200年頃)。
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