細川家の家臣として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/08/08 06:43 UTC 版)
寛永21年10月(1644年)改めの「真源院様御代 御侍名附」の組外衆に「五百五拾石 津川次郎左衛門」とある。ちなみに席次は家臣団38番目で尾池伝右衛門の4つ下に位置し、西山八郎兵衛と松野采女の間に位置する。また、慶安元年(1648年)の侍免撫帳(熊本県立図書館所蔵)より石高550石中、148石は山本に、401石5斗は玉名にあったことが分かる。 永青文庫所蔵の寛文4年(1664年)の細川綱利代の侍帳(永青文庫所蔵)より3番組の有吉内膳組に所属し、組内では三十挺や添頭、番頭より上の扱いであった。
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