編成と拡張
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 10:31 UTC 版)
「メジャーリーグベースボール」の記事における「編成と拡張」の解説
1901年から1953年までの間、2つのメジャーリーグは8チームのリーグで構成されていた。16チームはアメリカ北東部と中西部の10都市に集中していた。ニューヨークに3チーム、ボストン、シカゴ、フィラデルフィア、セントルイスには各2チーム存在していた。当時はセントルイスが最南端と最西端だった。最も距離の遠いボストンからセントルイスへの距離は、鉄道で約24時間の距離であった。 1953年、低迷していたボストン・ブレーブスが本拠地をミルウォーキーへ移転し、観客動員が28万人から182万人へ増加。以後、本拠地の移転が起きることに。1954年、セントルイス・ブラウンズはボルチモアに移転。1955年、フィラデルフィア・アスレチックスはカンザスシティへ移転した。 野球専門家の間で、「この頃の初期拡大期に最も影響力があったオーナー」と考えられているブルックリン・ドジャースのオーナー、ウォルター・オマリーは、1958年シーズンの前に、彼はブルックリン・ドジャースを西海岸にあるロサンゼルスに移した。オマリーがTIME誌の表紙になるほどの大事件だった。全米一の熱狂度と評されていたニューヨークのファンから「世界三大悪人はヒトラー、スターリン、そしてオマリー」と非難された。さらにオマリーは、ライバルのニューヨーク・ジャイアンツにサンフランシスコへの移転を持ちかけた。ジャイアンツは1950年代に入り成績、観客動員ともに落ち込み、本拠地ポロ・グラウンズの老朽化もあり、球団幹部はニューヨークからの脱出を考えていた時だった。ドジャースが単独で西に移動した場合、最も近いチームでもセントルイス・カーディナルズの1,600マイル(2,575 km)もあった。1球団より2球団で移転した方が、西海岸の遠征が訪問チームにとって経済的だろうとの目的だった。オマリーはジョージ・クリストファー・サンフランシスコ市長をニューヨークに招き、ジャイアンツのオーナーであるホーナス・ストーンハムと面会させた。ストーンハムはミネソタ州に移転することを検討していたが、1957年末に西海岸に移転することを決めた。この会合は、コミッショナーのフォード・フリックの要望を無視して行われた。結果的に2チームの動きは、フランチャイズとMLBの両方にとって大成功だった。ドジャースは1試合で78,672人の観客を動員し、MLBにおける1試合での最多動員記録を叩きだした。一方、3チームのうち2チームを失ったニューヨークでは球団を取り戻す機運が高まり、リーグ拡大の契機となった。 リーグのチーム数増加の推移年度アメリカンリーグ(AL)ナショナルリーグ(NL)チーム総数東中西東中西1901 8 8 16 1961 10 8 18 1962 10 10 20 1969 6 - 6 6 - 6 24 1977 7 - 7 6 - 6 26 1993 7 - 7 7 - 7 28 1994 5 5 4 5 5 4 28 1998 5 5 4 5 6 5 30 2013 5 5 5 5 5 5 30 1961年、ワシントン・セネターズがミネアポリスに移りミネソタ・ツインズとなった。同年、ロサンゼルス・エンゼルスと移転したセネターズの代わりに新しく作られたワシントン・セネターズの2チームがアメリカンリーグに加盟。続けて翌1962年、ナショナルリーグにはヒューストン・コルト45’sとニューヨーク・メッツが加盟。コルト45’s(4年目からアストロズに改称)は、1899年にルイビル・カーネルズがなくなって以来初めての南部を本拠地とするチームとなった。メッツは、大都市ニューヨークに復活したチームとして多大な期待を受けたが、最初のシーズンで40勝120敗と大敗し、無駄なチームを作ってしまったとファンを落胆させた。その後も最下位が定位置と成りつつあったが、創立8年目の1969年、突如100勝62敗の好成績でリーグ初優勝。そのままワールドシリーズも制してしまった。結果的にメッツは1960年前半に加入した4チームでワールドシリーズタイトルを獲得した最初のチームになった。 1966年、MLBはミルウォーキー・ブレーブスがアトランタに移り「ディープ・サウス」に進出。1968年、カンザスシティ・アスレチックスはさらに西のオークランドに移転した。1969年、両リーグはそれぞれ2チームの拡張フランチャイズを迎え入れた。アメリカンリーグは、シアトル・パイロッツ(シアトルで悲惨な1シーズンをおくった後にミルウォーキーに移転)とカンザスシティ・ロイヤルズを加えた。ナショナルリーグは、サンディエゴ・パドレスと、初のアメリカ国外のカナダフランチャイズとなった、モントリオール・エクスポズを加えた。これによって、両リーグ12チームと巨大化したため、この年から東西2地区制に移行した。2地区に分かれたことで優勝チームが2チームとなったためワールドシリーズの前哨戦としてリーグチャンピオンシップシリーズが始まった。 1972年、ワシントン・セネターズはアーリントンに移り、テキサス・レンジャーズになった。1977年、アメリカンリーグが再び拡大、シアトル・マリナーズとカナダ第2のチーム、トロント・ブルージェイズが加わった。その後、しばらく新しいチームは追加されず、1990年代までチームの移転もなかった。1993年、ナショナルリーグはマイアミのフロリダ・マーリンズ、デンバーのコロラド・ロッキーズを加えた。翌1994年、東中西3地区制に移行した。1998年、ナショナルリーグはフェニックスのアリゾナ・ダイヤモンドバックス、アメリカンリーグにフロリダ・タンパのタンパベイ・デビルレイズが加わった。この時リーグのバランスをとるため、ブルワーズがナショナルリーグに移動。リーグ間の移動が初めて行われた。 2001年のシーズン後、オーナー会議が開かれリーグの縮小、いくつかのチームの廃止が検討され、多くのオーナーによって縮小に賛成票が投じられた。その中でモントリオール・エクスポズとミネソタ・ツインズが廃止に最も近い2チームであった。しかし、ツインズが2002年シーズンのプレーを要求した裁判所命令を受け、MLBの縮小計画は中止された。MLBのオーナーは、少なくとも2006年までリーグの縮小をしないことに同意した。エクスポズは、深刻な財政難で球団経営が行き詰まり、30年以上なかった本拠地の移転が行われ、2005年にワシントン・ナショナルズとなった。結果、セネタースがテキサスに移転して以来33年間不在だったチームをアメリカの首都に戻すことになった。一方モントリオールはフェデラルリーグを除き、1901年以来MLBの本拠地があった都市で現在チームを運営していない唯一の都市となっている。 2013年、インターリーグの開催時期が見直され、試合のスケジュールの関係でチーム数のバランスが悪かった地区の整理が行われた。ヒューストン・アストロズがアメリカンリーグに移動。これで全地区5チームずつの均等配置となった。 2018年7月17日、MLB機構のロブ・マンフレッドがテレビ番組内にて、32球団に拡張する意向を示した。 候補地としてラスベガスやポートランド、シャーロットやナッシュビル、モントリオールとバンクーバーの6都市を挙げた。その上、メキシコについても「長い目で見ればあり得る」と語った。
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