考古学的資料
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ギリシア神話のありようを知るには、近代になって発達した考古学が大きな威力を発揮した。考古学では古代の遺跡が発掘され研究された。 これらの遺跡において、装飾彫刻や彫像、神々や人物が描かれ彩色された古壺や皿などが見つかった。考古学者や神話学者は、彫刻の姿や様式、古壺や皿に描かれた豊富な絵を分析して、これらがギリシア神話で語られる物語の場面や出来事、神や英雄の姿を描いたものと判断した。それらの絵図は意味を含んでおり、(学者によって解釈が分かれるとしても)ここから神話の物語を読み取ることが可能であった。 他方、発掘により判明した考古学的知見は、文献に記されていた事象が実際に存在したのか、記述が妥当であったのかを吟味する史料としても重要であった。更に、文献の存在しない時代についての知識を提供した。19世紀末にドイツのハインリヒ・シュリーマンは、アナトリア半島西端のヒッサルリクの丘を発掘し、そこに幾層もの都市遺跡と火災で滅びたと考えられる遺構を発見してこれをトロイア遺跡と断定した。彼はまたギリシア本土でも素人考古学者として発掘を行い、ミュケーナイ文化の遺構を見いだした。 20世紀に入って以降、アーサー・エヴァンズはより厳密な発掘調査をトロイア遺跡に対し行った。またクレータ島で見いだされていたクノーソスなど、文明の遺跡の発掘も行われ、ここで彼は三種類の文字(絵文字、線文字Aと線文字B)を発見した。線文字Bは間もなく、ギリシア本土のピュロスやティーリュンスでも使用されていたことが見いだされた。20世紀半ばになって、マイケル・ヴェントリスがジョン・チャドウィックの協力のもと、この文字を解読し、記されているのがミケーネ語であることを確認すると共に、内容も明らかにした。それらはホメーロスがうたったトロイア戦争の歴史的な像を復元する意味を持った。また数々の英雄たちの物語のなかには、紀元前15世紀に遡るミュケーナイ文化に起源を持つものがあることも、各地の遺跡の発掘研究を通じて確認された。
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考古学的資料
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トリノ王名表の4列16行には、空白があり、15行はシェプスセスカフ、17行がウセルカフと考えられるため、元々この空白にはジェドエフプタハが示されていたのではないかと考えられている。
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