じこ‐あい【自己愛】
ナルシシズム
自己愛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 04:30 UTC 版)
詳細は「ナルシシズム」を参照 社会的な人間にとって根源的な愛の形態の一つ。自分自身を支える基本的な力となる。( 英語でself-love とも。 narcissism の訳語として用いられることもある。) 生まれてきたばかりの赤ん坊は、保護者と接しながら自己と他者の認識を形成する。その過程で(成人するまでに)自身が無条件に受け入れられていると実感することが、自己愛の形成に大きく関与している。「自分が望まれている」事を前提に生活できることは、自身を大切にし自己実現に向かって前進する土台となり得る。また、自己に対する信頼が安定すること、自分という身近な存在を愛せることは、その経験から他者を尊重することにも繋がる。 心理学者らからは、自己愛が育って初めて他人を本当に愛することができるようになる、としばしば指摘されている。自分を愛するように、人を愛することができるという訳である。自分を愛せない間は、人を愛するのは難しいと言われる。 しかし子供によっては、虐待されたり、自身の尊厳を侵されたりするような環境に置かれることがある。この場合、その子供は努力次第で逆境に打ち勝ち、人格者に成長する可能性もあるし、自己愛が希薄な自虐的な性格になるなどの可能性もある。もし後者で自己愛を取り戻すには、自身が無条件で受け入れられていると強烈に実感する体験がかぎの一つとなる。 周囲から見て精神的に未熟な者が、恋愛の最中に「恋している自分に恋している」と評されることがある。これは、対象を愛して(気分が舞い上がりなどして)いる自己に酔っている、また、パートナーがいるという優越感に浸っている状態を揶揄するものである。しかし、本人の認識も、他者も、恋愛の対象も、全面的に真に相互的な恋愛感情を抱いていると誤認しやすい。 .mw-parser-output .sidebar{width:auto;float:right;clear:right;margin:0.5em 0 1em 1em;background:#f8f9fa;border:1px solid #aaa;padding:0.2em;text-align:center;line-height:1.4em;font-size:88%;border-collapse:collapse;display:table}body.skin-minerva .mw-parser-output .sidebar{display:table!important;float:right!important;margin:0.5em 0 1em 1em!important}.mw-parser-output .sidebar-subgroup{width:100%;margin:0;border-spacing:0}.mw-parser-output .sidebar-left{float:left;clear:left;margin:0.5em 1em 1em 0}.mw-parser-output .sidebar-none{float:none;clear:both;margin:0.5em 1em 1em 0}.mw-parser-output .sidebar-outer-title{padding:0 0.4em 0.2em;font-size:125%;line-height:1.2em;font-weight:bold}.mw-parser-output .sidebar-top-image{padding:0.4em}.mw-parser-output .sidebar-top-caption,.mw-parser-output .sidebar-pretitle-with-top-image,.mw-parser-output .sidebar-caption{padding:0.2em 0.4em 0;line-height:1.2em}.mw-parser-output .sidebar-pretitle{padding:0.4em 0.4em 0;line-height:1.2em}.mw-parser-output .sidebar-title,.mw-parser-output .sidebar-title-with-pretitle{padding:0.2em 0.8em;font-size:145%;line-height:1.2em}.mw-parser-output .sidebar-title-with-pretitle{padding:0 0.4em}.mw-parser-output .sidebar-image{padding:0.2em 0.4em 0.4em}.mw-parser-output .sidebar-heading{padding:0.1em 0.4em}.mw-parser-output .sidebar-content{padding:0 0.5em 0.4em}.mw-parser-output .sidebar-content-with-subgroup{padding:0.1em 0.4em 0.2em}.mw-parser-output .sidebar-above,.mw-parser-output .sidebar-below{padding:0.3em 0.8em;font-weight:bold}.mw-parser-output .sidebar-collapse .sidebar-above,.mw-parser-output .sidebar-collapse .sidebar-below{border-top:1px solid #aaa;border-bottom:1px solid #aaa}.mw-parser-output .sidebar-navbar{text-align:right;font-size:75%;padding:0 0.4em 0.4em}.mw-parser-output .sidebar-list-title{padding:0 0.4em;text-align:left;font-weight:bold;line-height:1.6em;font-size:105%}.mw-parser-output .sidebar-list-title-c{padding:0 0.4em;text-align:center;margin:0 3.3em}@media(max-width:720px){body.mediawiki .mw-parser-output .sidebar{width:100%!important;clear:both;float:none!important;margin-left:0!important;margin-right:0!important}}人間関係種類ボーイフレンド ブロマンス 同棲 側室 いとこ 家族的パートナーシップ 家族 友情 ガールフレンド 夫 親族 結婚夫婦 妾 一夫一婦制 非一夫一婦制 オープンマリッジ ポリアモリー グループ結婚 複婚 恋愛的友情 同性関係 同性結婚夫夫 性的パートナー(英語版) 兄弟姉妹 恋人 心の友 寡婦 妻 恋愛的な出来事絆 別れ 求愛 デート 離婚 姦通 連れ添い ロマンス 別居 逸脱 結婚 気持ちと感情親近感 愛着 コンパージョン カップル 嫉妬 リマレンス 愛 情熱 プラトニック・ラブ ポリアモリー 性的な一夫一婦主義の心理学 習慣婚資(寡婦産 持参金) 上昇婚(玉の輿) 姦通 性行動 虐待児童虐待 障害者虐待 高齢者虐待 ドメスティックバイオレンス 表 話 編 歴
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自己愛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 01:57 UTC 版)
フロイトは幼児が発達する段階において存在する根源的な一次的自己愛と、一度発達してから退行することによって生じたり、何らかの原因によって自我にリビドーが戻ってきて生じる二次的自己愛を区別した。 前者は自体愛と呼ばれるものであり、身体の各部位にリビドーを備給する幼児期段階において発達する。後者は自我が成立してから発生するものと考えられており、対象に向かうはずのリビドーが自我に戻ってくる事によって生じる現象として考えられている。 フロイトは自体愛を人間の発達において必然的なものとして理解した。それは自己愛も同様に発達においては必然的に生じるものであるが、成人になってから生じる自己愛は病的であると考えている。 自己愛は抑うつの理解や精神分裂病の理解によって特に注意深く考えられるようになった(『喪とメランコリー』および『シュレーバー症例』)。基本的にフロイトは自体愛―自己愛―対象愛という発達ラインを考えており、そのために自己愛は病的であり、成人した人間は対象愛、つまりリビドーが対象へ向かっているのが正常であると考えた。 ハインツ・コフートが自己愛の正常な発達を主張するまでは、精神分析では自己愛は病的なものとして理解されていた嫌いがある。自我心理学でも自己愛理解はそのままにされていたのであり、ハインツ・コフートが自己愛の理解を見直すまでは以前病的なものとして理解されていた。後に自己愛はパーソナリティ障害の理解において、対象関係論や自己心理学によって非常に注目されるようになる。 また、クライン学派においては、一次的自己愛の概念はなく、最早期から対象関係は成立していると考えられている。そして、その自己愛は羨望と結びつき、破壊的な様相を呈するようになるとローゼンフェルドは述べている。このことは様々な苦痛から防衛するために、高度に組織化された自己構造として理論化されていった。その後シュタイナーは自己愛構造体をさらに整理し、妄想分裂ポジションと抑うつポジションの間にあり、双方の苦痛を回避するための避難所としての病理的組織化の理論を展開した。病理的組織化により、嗜癖的にその状態にひきこもり、倒錯的な満足の中で成長することを妨げる大きな要因となると指摘した。
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自己=愛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/21 06:28 UTC 版)
「オースティン・オスマン・スパー」の記事における「自己=愛」の解説
「自己=愛」は「笑いの感情によってひきおこされた心的状態、気分、有様であり、概念に先んじた理解を可能とするための、「エゴ」の認識または普遍的結合を可能とする原理となる。」 したがってこれはエゴの文法の自己陶酔的な内省ではなく、社会的諸関係に捕らわれることも、その中にすっかり同化してしまうこともなく、いかなる望まれた社会関係の束にも自由に移行しうる、アイデンティティの中核にある空無である。自己の意味の核心は「自己=愛」であって、特定の振る舞い、信念、生活パターンの集合体を要約するラベルではないがゆえに、ひとは自己規定の必要なくして運動と表現の大いなる自由の状態を達成する。
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「自己愛」の例文・使い方・用例・文例
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