中華思想
華夷秩序
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 14:35 UTC 版)
前近代における東アジア国際社会は、政治的・経済的・文化的に大きな存在感を放つ中国王朝を中心とする形で国際秩序が成り立っており、日本や朝鮮、ベトナム、琉球といった中国の周辺諸国は、その中国から様々なスタンスを取ることで安定的な国際秩序を形成維持してきた。中国王朝に対しどのようなスタンスを取るかという点で、(中国王朝から見て)周辺諸国はいくつかの国際関係の種類、たとえば冊封や朝貢、互市に分類される。これまでの諸研究では、このような様々な国際関係を束ねたものを朝貢―冊封体制、あるいは朝貢システム、互市体制、華夷秩序と表現することが多い(対象とする時代や研究者によって異なる)。ここでは便宜的に華夷秩序と呼ぶ。 中国王朝から見た華夷秩序は、中華思想に基づく世界観を現実に投影したもので、中国を「華」(文明)と自認し、中国という同心円的ヒエラルキーの中心から離れるに従い「華」から離れ「夷狄」(野蛮)に近づいていくと考える国際秩序である。このヒエラルキーが特異なのは、中国王朝が直接支配する領域とそれ以外の地域とが国境のような確固たる分断線によって区切られず、連続したものとして捉えられている点である。具体的には、 天命を承けた中国皇帝が直接支配する地域(行政区である省が置かれている) 間接統治地域(辺境の有力者を土司・土官に任命し、貢ぎ物と引き替えに一定の自治を認める) 版図外(「夷狄」のいる地域、皇帝の徳の感化が及ばない土地。所謂「化外の地」) という大きく分けて三つのカテゴリーがあり、前者から後者に行くに従い、漸次中国皇帝の徳が及ばなくなり、同時に中国の支配力も低下していくという観念で支えられている。したがって版図外といっても、その地は中国の支配(あるいは中国皇帝の徳)がなかなか及ばないだけで、本来中国皇帝に支配されるべき地であるという意識は捨てられていない。 そしてこの版図外にある諸国は、中国王朝になびく国家とそうでない国家に大別される。まず中国に使節を送り、臣従する諸国。これらには「冊封」(国王承認)や「朝貢」(貢ぎ物と引替えに賞賜が与えられ、さらに交易することができる)という政治的・経済的見返りを与えた。それを目的に中国を訪れた冊封あるいは朝貢使節の存在は、中国皇帝の徳が遠くの「夷狄」に及んだ証左とされた。中国とこれらの諸国とは、「宗主国」(Sovereign State) と「藩属国(あるいは「属国」「付庸国」)」(Tributary State) という上下関係を基調とする国際関係を結んだことになる。ただ「宗主国」と「藩属国」との関係は、近代における「宗主国」と「従属国」(Subject State) のような関係とは大きく異なり、内政外交全般に中国の支配が及んでいたわけではなく、たとえば中国は、「藩属国」どうし、あるいは「藩属国」と中国王朝に臣従しない諸国との関係について特に関知しない。そのため排他的な主従関係は希薄であり、ある国が中国以外の国へも朝貢する「二重朝貢」といった例も見られた。 前王朝の明代において、「冊封」や「朝貢」は諸外国との関係の中で大きな比重を占めていたが、このような制度自体は、清代まで大きく変化することなく存続した。しかし続く清朝においても「冊封」や「朝貢」が、明朝の対外関係で同じ比重を占めていたわけではなかった。清代では、明朝の時以上に欧米諸国が中国を訪れるようになり、「冊封」や「朝貢」よりも政治的意味合いが希薄化した交易が増加の一途を辿ったのである。この交易関係を「互市」という。 そしてこれまで述べてきたような「冊封」や「朝貢」、「互市」によって中国と関係を持つ国々をそれぞれ「冊封国」・「朝貢国」・「互市国」という。 以上の説明は歴代中国王朝が構想した華夷秩序であるが、日本や朝鮮、琉球、ベトナム等の周辺諸国もその華夷秩序及びその根拠となった中華思想を選択的に受容、あるいは共有し、華夷秩序の一翼を担っていた。ただどの程度受容するかについては、中国と周辺諸国との力関係(地政学的な影響)から一元的ではなく、地域により濃淡がある。たとえば中国ではなく自国を中心(「華」)だと自認する「小中華思想」をもった国家が複数あり、中国の華夷秩序が一元的に東アジア国際秩序を貫いていたわけではなかった。しかしそれらが思い描く国際秩序も構造そのものは華夷秩序に借りた相似構造をもっており、その各国の小華夷秩序が、中国王朝の華夷秩序と折り合いをつけながら併存している状態であった。いうなれば諸国ごとの小華夷秩序の束が、互いに重なりながら存立する状態こそが、前近代の東アジア世界の国際秩序、すなわち総体として華夷秩序とよぶものであった。したがって、どの国・どの地域にも貫通する一元的な国際秩序を見出すことは困難といわねばならない。 国や地域によって均質・一様でない華夷秩序(の束)に、最終的には取って代わったのが西欧起源の条約体制であった。
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