藤波畷の戦いとは? わかりやすく解説

藤波畷の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/07 07:26 UTC 版)

藤波畷の戦い(ふじなみなわてのたたかい)は、永禄4年(1561年)9月13日(旧暦)に行われた、東条吉良氏の居城東条城をめぐる吉良氏と松平元康(徳川家康)の一連の攻防戦の一つ。




  1. ^ 平岩元重(ひらいわ もとしげ)、通称権太夫。三河国坂戸平岩氏の嫡流で平岩親吉と同祖。代々弓術を家芸としたが、元重はもっぱら槍で日近合戦・東条城攻めなどに戦功をあげた。東条松平家に仕え、正室は松井氏の娘。徳川家康の関東入部に従わず知行地に残ったため、不興を買うが家康はあえて処罰せず。松平忠吉忍藩成立の際に再出仕し、尾張清洲藩移封には従って清洲城留守居役となる。元和5年(1619年)8月13日同地にて死没、享年86。子孫は徳川義直に仕えた。富永氏もまた伴五郎の叔父・富永資広(孫太夫)が松平忠吉に仕え、子孫は尾張徳川家に仕えた。


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