藤白鈴木氏
藤白鈴木氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 14:30 UTC 版)
紀伊国藤白(現在の和歌山県海南市)の鈴木氏は、12世紀頃に熊野から同じ紀伊国内の藤白に移り住んで以来、王子社(現在の藤白神社)の神官を代々務めた家である。全国に散らばる穂積姓鈴木氏中でも本家筋とみなされている家で、後述する雑賀の鈴木氏も三河の鈴木氏もいずれも藤白の鈴木氏の分家とされている。 平安時代の末に藤白鈴木氏から出た鈴木三郎重家・亀井六郎重清の兄弟は、源義経に郎党として仕え、陸奥国衣川で主君を守って戦死した。鈴木重家の子が伊予土居氏の祖となったという伝承があり、この説によると『清良記』の著者の土居清良は藤白鈴木氏の末裔ということになる。鈴木重家の6世孫で藤白鈴木氏当主・鈴木重実の長男であった鈴木重伴(繁伴)は鎌倉幕府倒幕の旗が挙がった際に幕府側について敗れ、伊豆国江梨に下向して江梨鈴木氏の祖となったため、弟の鈴木重恒が藤白鈴木氏当主となった。 藤白鈴木氏は、1942年(昭和17年)に第122代の当主が病気で急死し、子がいなかったため断絶した。
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