西へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 15:27 UTC 版)
1964年4月13日、彼が33歳の頃、アメリカ人後援者の招聘を受け、西側諸国の人々に霊的指導を行う目的で、ニューヨークに移住した。移住した最初の1年間、インド領事館のLL・メヘロートラー (LL Mehrotra) の下で、パスポートとビザ発行の部署のアシスタントとして働く。1965年に、グッゲンハイム美術館に招待され、アジア協会の後援を受け、3曲の曲を演奏した。その年の後半、彼は月刊AUM誌を出版し始める。1966年7月22日、彼は、のちに世界約60ヶ国に100以上設立することになるところの、彼の霊的哲学や瞑想などを指導し、適度の梵行(禁欲)生活を実践するための「シュリ・チンモイ・センター」の最初のセンターをプエルトリコのサンフアンに創設した。この頃から「シュリ・チンモイ」と名乗るようになったと思われる。 1968年から1970年にかけて、彼はイェール大学、ハーバード大学、コーネル大学、ブランダイス大学、ダートマス大学、そしてニュースクールフォーソーシャルリサーチで講演を行った。 その後、日本と極東を初訪問。1970年4月に、彼は国連においてピース・メディテーション(公開瞑想)の主催を始める。以後毎週定期的に、宗派を超えた人々の奉仕に支えられたNGOによって、国連の各国代表やスタッフ向けに、公開瞑想が催され続けている。1970年後半には、彼は初めてヨーロッパを訪れ、オックスフォード大学とケンブリッジ大学での講演等を行った。1971年までに、当時の事務総長タントの支持で、彼は国連のダグ・ハマーショルド講堂 (Dag Hammarskjold Auditorium) で毎月の講義を開始する。 彼は、外遊の先々で講演を行い、新しいシュリ・チンモイ・センターを設立し、多数の活動に専念し続けた。1975年4月に、彼はジョン・F・ケネディの記念のために、ハーバード神学学校で一連の7つの講演を行った。彼は、同年7月の国立記念日に国連の祈念式典において、また、1976年4月にそれに類似した式典において、オープニング・メディテーションを提供した。1978年9月に、彼は彼の古い上司であるLLメヘロートラーと再会。その後、LL・メヘロートラーはサンフランシスコでインドのコンサルタントの要職に就いた。
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「西へ」の例文・使い方・用例・文例
- 西へ向かう
- 船は西へ航行した
- 西へ10マイル行くとガソリンスタンドがあります
- 私は円盤状の物体が東から西へ飛ぶのを見た。
- 列車は西へ走っていた。
- 塔はわずかに西へ傾いていた。
- 太陽は東から昇り、西へ沈む。
- 多くの家族が辺境で新生活を始めるため西へ行った。
- 船は西へ向かっている。
- コロンブスは西へいけばインドへ到着すると主張した。
- コロンブスは新しい大陸を探し、更に西へと航海した。
- 風が西へ変わった.
- さらに西へ歩いて行くとそこから程遠からぬ所にお寺があります.
- 磁石は西へ振れる
- 風が西へまわった
- 西へ、西に向かって、または西部で
- 西へ
- 彼らは落陽に向かって西へと旅行した
- 私たちは西へ反れ始めた−ダニエル・デフォー
- 南西へ、その方向に、あるいは、そこにおいて
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