角淳一
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角 淳一[1](すみ じゅんいち、1944年〈昭和19年〉12月30日 - 、戸籍上の誕生日は1945年〈昭和20年〉1月1日[2])は、日本のフリーアナウンサー。大阪府四條畷市出身[2]。毎日放送の元アナウンサーで、2004年4月1日から2011年9月30日までは同局の専属パーソナリティでもあった。
- ^ 本来の名字表記は、真ん中の棒が下に少し突き抜ける、「」である。
- ^ a b c d e f 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、256頁。
- ^ 平成24年5月16日 四條畷市観光大使任命式
- ^ 角さん9月いっぱいで「ぷいぷい」卒業!次は“大人の駄菓子屋”(『スポーツ報知』大阪版2011年9月12日付インタビュー記事)
- ^ 前出『おとなの文化村』に角がゲストで出演した際に公表されたプロフィール を参照
- ^ 毎日放送アナウンサー時代の1987年にシンコーミュージックから刊行された『まるのまんま あどりぶランド』(毎日放送編・著)に掲載の写真より
- ^ 第30回では、ゲストとして7年振りに登場。毎日放送では、角の出演パートの一部で、『ぷいぷい』とのサイマル生放送を実施した。
- ^ 日本民間放送連盟賞/1978年(昭和53年)入選・事績
- ^ 2006年4月20日に大阪府立体育会館で開催されたプロレス興行「ハッスル16」では、同興行のPRを兼ねて『ぷいぷい』にVTRで出演した高田総統からの挑発を受けて立つ格好で、「第3ハッスル〜よしもと軍団提供マッチ〜」(吉本興業提供試合)にサプライズゲストとして登場。この口上にちなんで「俺は、角淳一だ!! お前らは、誰だー!!?」という挨拶を披露した(ハッスル16 を参照)。
- ^ 本来の定年退職日は、60歳の誕生日に当たる2005年1月1日であった。
- ^ 角淳一アナ 生番組退席で救急搬送…心臓手術、九死に一生 ― スポニチ Sponichi Annex 芸能 2014年12月18日配信
- ^ Sponichi Annex大阪版 (2011年8月16日). “「ちちんぷいぷい」看板男 角淳一氏9月卒業”. 2011年8月16日閲覧。
- ^ 日刊ゲンダイ「立岩陽一郎のファクトチェック・ニッポン」 (2021年3月17日). “免許事業である放送が厳しい現状を乗り越える道は2つある”. 2021年3月19日閲覧。
- ^ Sponichi Annex大阪版 (2011年9月14日). “角淳一氏 12年ぶりラジオ “大人の駄菓子屋”司会”. 2011年9月14日閲覧。
- ^ 公式サイトのプロフィールより。「すごくおいしいうた」のリリースでは、角が「ジャム淳一」(いちじくのかぶり物に身を包んだキャラクター)としてキャンペーン活動に参加したほか、アルバムの初回購入者から抽選で200名にいちじくジャムを進呈していた。
- ^ 角淳一氏が『ちちんぷいぷい』を卒業…理由は妻の一言「魅力なくなった」(『スポーツニッポン』2011年10月1日付記事)に記載のエピソードなどを参照
- ^ 2012年・2013年は(西の氏名にちなんで)「西やすシート」、2014年から2018年までは(山本の愛称にちなんで)「ヤマヒロシート」に改称。2019年からは、阪神関連の情報コーナーが『ミント!』(『ぷいぷい』の後枠で4月1日から2020年3月まで放送されていた生活情報番組)の月曜日に移った関係で、「生でミント!」として同曜日で招待企画を引き継いでいた。
- ^ a b c d バイオリニスト、タレント・松尾依里佳さん フリーアナウンサー・角淳一さんからの言葉(『朝日新聞』2023年8月24日付夕刊「一語一会」)
- ^ a b c d e f g 『こちら・あどりぶランド』 1986, pp. 78–82.
- ^ 『私は、角淳一です』第三章「夜クネ、すみから、そして阪神・淡路大震災」より
- ^ 毎日放送編『阪神大震災の被災者にラジオ放送は何ができたか―「被災していない人への情報はいらない!」と言い続けた報道者たち』(同文社出版、1995年)より
- ^ 渡邊が生前に著した『ヤンタンの時代』(2005年、キッズネット)に所収の「1+1=∞の恐るべきパワー 笑福亭鶴光・角淳一」より。ちなみに、当時の聴取率1位は、谷村新司・ばんばひろふみがパーソナリティを務める『ヤンタン』金曜日であった。
- ^ 渡邊が生前に著した『ヤンタンの時代』(2005年、キッズネット)に所収の「1+1=∞の恐るべきパワー 笑福亭鶴光・角淳一」より
- ^ 前出『ヤンタンの時代』より
- ^ 前出『ヤンタンの時代』より。「ええかええかのテーマ」を吹き込んだレコードは、進研ゼミの新規入会者に特典として進呈された。
- ^ 角は「このタイトル以外では司会を引き受けない」と関係者に語ったという。ただし、タイトルの由来には、いくつかの説がある。角の発言によれば、「平日3時間の帯番組という大仕事を務めるに当たって、『ちちんぷいぷい』とおまじないをかけた気持ちで挑まないとやっていられない」という意味や、「(脳梗塞の)病気や(個人的に良い印象を持っていないワイドショー)番組も良くなれ」という願望も込められているとされる。しかし角が後から聞いた話では「ちちんぷいぷい」という意味ではなく「さあ行こうアロンゾ」みたいな意味だった、ということだったが「まあええか」と思ったという(『私は、角淳一です』p.147 - 149 より)
- ^ たかじんさん ヒゲ気に入らず「ちちんぷいぷい」生放送乱入も(『スポーツニッポン』2014年1月8日付記事)
- ^ “関西の人気パーソナリティ・角淳一が“50年ぶり”にテレビで断髪式 丸刈り姿披露”. ORICON STYLE (オリコン). (2010年3月3日) 2016年4月30日閲覧。
- ^ ナショナル劇場50周年記念特別企画『水戸黄門』2時間スペシャル
- ^ お笑いナタリー (2012年1月21日). “千鳥、スマイルらが「ほっとけ!3人組」で角アナと共演”. 2012年2月5日閲覧。。収録では『ちちんぷいぷい』のレギュラー出演者でもある小籔千豊・千鳥・なるみと共演。また、同番組を意識した演出が随所に施された。
- ^ 上柳昌彦 ごごばん! 大阪から生放送! を参照
- ^ 11:00 - 11:30に北部九州ローカルで放送。ティーナ・カリーナは、新装開店前の阪急百貨店うめだ本店で、アルバイトとして地下1階の食料品売場に長らく勤務していた。ちなみに、RKBの本社がある福岡市のJR博多シティには、2011年3月3日の開業当初から博多阪急がメインテナントとして入居している。
- ^ 藤山直美&角淳一がメインMC初共演 読売テレビ開局55年記念番組でタッグ(「ORICON STYLE」2013年6月3日付記事)を参照
- ^ 当時『ヤンタン』木曜日で共演していた石川優子の楽曲「シンデレラ・サマー」がベストテンに入った週の放送で、『ヤンタン』本番直前の毎日放送千里丘放送センター(当時)からの中継へ笑福亭鶴光とともに出演。1978年4月にもラジオベストテン情報のコーナーにMBSラジオ担当として出演。
- ^ 大阪府出身のaikoがゲストとして初めて出演したことから、インディーズ時代からaikoと親交の深い上泉雄一(MBSアナウンサー)とともにVTRコメントで出演。
- ^ TVドラマデータベース テレビ50年特別企画『水戸黄門』1000回記念3時間スペシャル
- ^ 中島による舞台公演「夜会」の大阪公演のPRを兼ねた特別番組。中島は、MBSラジオで『ミュージックマガジン』(1978年度 - 1981年度のナイターオフ番組)のパーソナリティを務めていたことなどが縁で、現在に至るまで角との交流を続けている。
- ^ 関西の人気パーソナリティー・角淳一アナがNHK初出演(『ORICON STYLE』2012年3月28日付記事)。『ぷいぷい』で長らく共演していたなるみがナレーターを務めた。
- ^ 読売テレビ開局55周年記念特別番組『藤山直美・角淳一のおしどり夫婦が集まる家』
- ^ 進研ゼミについては、MBSのアナウンサーとして『MBSヤングタウン』に出演していた時期にも、提供コーナーのラジオCMに登場。テレビCMでは、MBSでの放送用に角を正面から映したバージョンと、在阪他局での放送用に角が背中を向けているバージョンが作られたという(2011年1月11日放送の『ぷいぷい』で本人が回顧)。
- ^ 前述『ぷいぷい』より。CMは4バージョン制作。猪俣睦彦(MBCラジオパーソナリティ)・大田黒浩一(RKKラジオパーソナリティ)と角が中継で掛け合う設定で、大阪・熊本・鹿児島の名所やグルメを伝える。ちなみに、角が登場するバージョンは、RKK・MBCで1バージョンずつ放送。
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