記録が残されている時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 09:25 UTC 版)
「サラソータ (フロリダ州)」の記事における「記録が残されている時代」の解説
16世紀の初期に、ヨーロッパ人が初めてこの地域を探検した。記録に残る最初のものは1513年であり、スペインの探検隊がサラソータのすぐ南、シャーロット港で上陸した。インディアンと接触した初期にインディアンに使われたスペイン人がおり、それが初期接触の証拠になっている。 18世紀半ばの地図では「Zara Zote」(サラ・ソテ)と記されている。おそらくインディアンの名前から来ており、魚や海洋貿易業者を惹き付けた隠れた湾と港のことである。間もなく湾沿いに「ランチョ」と呼ばれる漁の宿営地ができた。これは魚や亀をハバナの商品と交換したアメリカ人とキューバ人が設立したものだった。フロリダはスペイン、次にイギリス、さらにまたスペインと支配国が変わった。 1819年にアメリカ合衆国がフロリダを取得した後、1845年に州に昇格する5年前、軍隊がサラソータの湾岸にアーミステッド砦を建設した。 この砦はインディアンビーチ地域にあったと考えられ、調査が続けられている。キューバ系アメリカ人オーナーのために働いていたアフリカ人奴隷のルイス・パチェコが運営していたランチョに、砦が建設された。砦の図面がその場所を突きとめる糸口になっており、インディアンビーチに今もある重要な地形を示している。何度か疫病が流行ったために砦が放棄される直前に、セミノール族インディアンの酋長達が、差し迫っているオクラホマ準州への強制移住について話し合うために集まった。スペインがフロリダを支配しているときに、ここに移ってきたインディアン部族だった。フロリダに元からいたトコバガ族やカルーサ族などはスペイン人がもたらした疫病で絶滅していた。彼等は晩秋から春まで使う恒久的な村を維持し、夏の間は北の方にある集落に移動していた。 間もなく、残っていたセミノール族インディアンは南のビッグサイプレス湿地に移住させられ、1842年には当時連邦政府が保持していたサラソータの土地は、アメリカ合衆国議会で成立した武装占領法によってヨーロッパ系開拓者に開放され、私有された。ルイス・パチェコまでもインディアンと共にオクラホマに送られた。
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