設置後とは? わかりやすく解説

設置後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 15:09 UTC 版)

南大沢駅」の記事における「設置後」の解説

1988年5月21日南大沢駅開業した。しかし、駅開設直後駅周辺には何もない更地ばかりの状況だった。そこにあったのは「駅前歩行者専用道路デッキ雨避けアーケードだけが目立つ」という様相で、新住区の団地は駅から約500m以南離れた所に建設されていた。 その後南北双方新住区で多摩ニュータウン住宅建設進捗し東京都立大学 (1949-2011)現・東京都立大学(首都大学東京から名称変更))やテンプル大学日本校その後撤退)、八王子南郵便局(現・南大沢駅郵便局集配機能1999年みなみ野シティ新設し同名局に移転)が誘致された。東京都立大学当初南大沢ではなく立川市移転する予定であったが、立川用地手狭問題視されていたため、多摩ニュータウン開発により土地確保できる南大沢移転することになった。また大規模商業施設ガレリア・ユギ」が建設され総合スーパー忠実屋百貨店のそごうが入居した。 駅開設当初は駅勢人口充分ではなく、そごうと忠実屋相次いで撤退したが、周辺地域での大規模住宅団地相次ぐ建設に伴い人口増加し1998年には「ガレリア・ユギ」に新たな核テナントとしてイトーヨーカドー開業したまた、新規開発行われてアウトレットモールシネマコンプレックスなどが誘致された。このほか、1996年には八王子市南大沢文化会館オープンするなど、公共施設建設もすすみ、今では「地区センター」に相応しい街の様相呈している。加えて相模原線急行運転開始に伴い当駅が急行停車駅となり、駅の利便性向上している。なお、2001年まで運転されていた特急は当駅は通過していたが、2013年特急復活した際には当駅も特急停車駅となった2018年から運行開始した京王ライナーも当駅に停車する駅ビル化される前の駅舎2004年2月10日開業直後南大沢駅バス停付近駅周辺には何もない1988年

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設置後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/17 03:09 UTC 版)

悲田処」の記事における「設置後」の解説

設置後の悲田処については史料が全く存在せず実際にどのような運営が行われたのか、いつ廃絶したのかなどの歴史的展開は全く分かっていない。ただ、延喜21921年)に奏進された『延喜式主税寮式の武蔵国 の項に出挙用の稲として特別に悲田稲四千五百束」の規定があることから、ある時期から悲田処役割重視した朝廷運営費元手となる稲を国庫から出す形で実質的に国営化したこと、少なくとも100年運営されていたことは分かる

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