ひょうじょう‐しょ〔ヒヤウヂヤウ‐〕【評定所】
評定所
評定所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/14 18:19 UTC 版)
評定所(ひょうじょうしょ)は、近代以前に訴訟を扱った機関およびそれが存在した場所のこと。時代により以下の2つに区分される。
評定所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 13:55 UTC 版)
評定所は国政を司る王府最高機関である。摂政および三司官が執務する場所は御座もしくは上御座と呼ばれ、表十五人が控える場所は下御座と呼ばれた。 摂政 摂政(シッシー)は日本の摂政職に近いが、ほぼ常設の官職である。国王を補佐し、三司官に助言を与える役目だが、辣腕をふるった羽地王子朝秀などを例外にすれば、通常は儀礼的な閑職であった。王子や按司など、王族から選ばれた。 例外は薩摩の侵攻直後に就任した僧菊隠で、これは薩摩との交渉役を期待されたためである。漢訳で国相と言った。 三司官 三司官(サンシキヮン)は実質的な行政の最高責任者であり、宰相に相当する。三人制で投票により親方の中から選ばれた。選挙権を持つ者は王族、上級士族ら200余名であった。王族には選挙権はあるが、被選挙権は無かった。 職掌は、用地方、給地方、所帯方に分かれ、3人がそれぞれを分担した。三司官の品位は正一品から従二品で、士族が昇進できる最高の位階であった。漢訳で法司と言った。 表十五人 表十五人(おもてじゅうごにん)は、摂政・三司官の下に位置する、物奉行3人、その下の次官級の吟味役3人、申口方の長官4人、その下の次官級の吟味役3人・日帳主取2人を合わせた計15名からなる協議機関である。国政の重要課題を協議し、摂政・三司官に上申するなどした。十五人衆、奉行衆とも言う。現在の国務大臣に相当する。 尚賢王の治世の1643年(崇徳8年・寛永20年)に置かれたが、表十五人は正式な官職名というよりは通称であり、普段はそれぞれの役所の長官および次官として働き、必要があれば集まって協議した。それゆえ、評定所の常設官職には含まれない。
※この「評定所」の解説は、「琉球王国」の解説の一部です。
「評定所」を含む「琉球王国」の記事については、「琉球王国」の概要を参照ください。
「評定所」の例文・使い方・用例・文例
評定所と同じ種類の言葉
- 評定所のページへのリンク