詩集と童話出版
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1924年(大正13年)4月20日『心象スケツチ 春と修羅』刊行。花巻の吉田印刷所に持ち込み1000部を自費出版した(定価2円40銭)。発行所の名義は東京の関根書店になっている。東京での配本を関根喜太郎という人物に頼み500部委託したが、関根はゾッキ本として流してしまい、古本屋で50銭で売られたという。本は売れず、賢治もほとんど寄贈してしまったが、7月にダダイストの辻潤が『読売新聞』に連載していたエッセイで紹介。詩人の佐藤惣之助も雑誌『日本詩人』12号で若い詩人に「宮沢君のようなオリジナリティーを持つよう」と例に挙げた。中原中也は夜店で5銭で売っていた『春と修羅』のゾッキ本を買い集め、知人に配っている。同年12月1日『イーハトヴ童話 注文の多い料理店』刊行(定価1円60銭)。盛岡高農の後輩で農薬のパンフレットを作っていた近森善一と及川四郎が賢治の原稿を見て刊行を計画、出版費用の工面に苦労しながら東京で印刷、製本した。出版社「光原社」の名義で1000部作ったが全く売れず、賢治は父親から300円借りて200部買い取った。本の挿絵を担当した菊池武雄は『赤い鳥』主宰の鈴木三重吉に『タネリはたしかにいちにち噛んでいたようだった』を送ったが「あんな原稿はロシアにでも持っていくんだな」と返された。しかし翌年1月、『赤い鳥』に『注文の多い料理店』の一頁広告が掲載される。三重吉の厚意で無料だった。7月、詩人の草野心平の同人誌『銅鑼』に参加する。11月23日、花巻の北上川小船渡に東北帝国大学地質古生物教室の早坂一郎教授を案内、賢治が採集したバタグルミ(クルミの古種)化石の学術調査に協力。この場所を賢治は「イギリス海岸」と名付けていた。
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