諸本
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『椿葉記』には永享3年から4年にかけて書かれた最初の草稿及び後花園天皇元服時と後小松法皇崩御後に2度にわたって増補・校訂された草稿の3種類が存在しており、伏見宮家から宮内庁書陵部に移されている(ただし、最初の草稿と見られる通称「甲本」は断簡のみ、次のものとされる通称「乙本」は一部欠け、最後のものとされる通称「丙本」はほぼ全文が伝わっている。なお、「丙本」は「乙本」の裏に貼りつけられており、「乙本」の一部が欠けるのは貞成親王が「丙本」を貼り付けた際に反故にされたと見られている)。複数回の校訂が行われた背景には、『椿葉記』の内容が、当時の治天の君である後小松法皇の意向に真っ向から対立せざるを得ない部分を含んでおり(特に太上天皇尊号の要望の件など)、こうした部分に関して慎重に推敲を重ねた結果であると考えられている。 乙本から更に推敲が加えられて貞成親王から後花園天皇に出されたとされる奏覧本の原本が残されていないため、全容の把握が困難である。また、奏覧本からの写本の系統を引くとされる旧伏見宮家所蔵以外の諸本も異同や明らかな脱落部分が多いとされている。これらの写本の多くが長年、皇室や公家の邸宅などに秘蔵されていたもので、その中でも大きく分けて東山御文庫所蔵本(現在御府御蔵)や葉室本(現在宮内庁書陵部所蔵)を祖形とする2系統が存在するが、その祖本とされる2種にしても誤字や脱文がかなりの箇所にのぼるとされている。更に、刊行されて民間に流布されてきたのは群書類従帝王部に収められたものであるが、底本の伝来経緯が不明の状態で東山御文庫本・葉室本とも文章の違いがあり、異なる系統に属するとも言われている。 戦後になって、村田正志が東山御文庫本のほぼ忠実な写本とされている三条西家所蔵本を底本に、同じ東山御文庫系統の藤波本(細川幽斎による写本が藤波家を経て宮内庁書陵部に伝えられたもの)や葉室本、群書類従本を元に補訂して、更に伏見宮家の3種の草稿を掲載して対照可能とした『證註椿葉記』を刊行している。また、宮内庁書陵部も1985年に「乙本」と「丙本」の複製を吉川弘文館から限定刊行している。
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諸本
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『太平記』の本文系統については、戦前に後藤丹治の研究があり、戦後も高橋貞一、鈴木登美恵のほか、昭和後期から平成にかけては長坂成行、小秋元段らが網羅的かつ精力的に研究を続けており、以下それらの成果によって記す。 「構成」にあるように、すべての現存『太平記』本文は巻22に当たるべき記事を欠いており、記事配列の操作をせず巻22をそのまま欠巻とするものを古態本とし、配列を操作して巻22を設けたものを比較的後出本とする。この点については古く『参考太平記』凡例ですでに指摘されている。 戦後紹介されたもので、巻32相当のみの端本(零本)でありかつ『太平記』の名も冠せられていないが、『太平記』の最終記事年代に近い永和年間(1375-1379 おそらく永和2 - 3年)写かとされる古写本があり、この本文は現存の諸本とほぼ一致する(巻32は諸本間の異同が大きく、永和本系統と他もう一系統の大きく2つにわかれ、古態本の中にはこの両方を併記したものもあり、後出本の中には二系統を混合したものもある)。永和本と称されるものである。 このほか一、二の断簡中の逸文を除くと、まとまった古写本としては次の四系統のものが現存本中、古態本とされる。 神田本 西源院本 南都本 神宮徴古館本 これら四系統の相互の関係はいまだに定説がない。ただし、流布本本文との比較では南都本系統が一番近く、逆に西源院本が一番遠い(独自記事が多い)ことは判明している。 現在では一応神宮徴古館系の本文を古態とするが、これも確定的なものではない。また、古態とされる神田本にもある個所に大量の切り継ぎ(後出と思われる別系統本文の補入)があるほか、すべての古写本が混態本であり、極端にいえば巻ごとに系統が異なるともいえる。ただし、『太平記』の本文異動は特定の巻に集中する傾向がある。 以下、流布本より古いが巻22を編集によって埋めている諸本のうち、代表的なものとして 今川家本 (現在近衛家陽明文庫所蔵のため陽明文庫本とも呼ばれる。永正2年(1505年)の現存写本の中では最も古い奥書を持つ。またこの奥書はかなり長大で、それによるとこの写本の伝来には甲斐武田氏との関わりもあるという。『参考太平記』校合対象本) 天正本 毛利家本 (両本とも彰考館蔵。流布本に対し外部資料などで増補したと思われる異文を多く持つ。同じく『参考太平記』校合対象本) 梵舜本 (古写本の中では流布本に最も近似する本文を持つとされる) などがある。 なお『参考太平記』の校合対象本とされ、現在所在不明のものとして 金勝院本 今出川本(菊亭本とも) 島津家本(薩州本とも。平成に入って本文が発見された) 北条家本(系統など詳細不明) がある。
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諸本
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後藤家本(蜂須賀文庫) 旧蜂須賀家に伝わっていたもので、「蜂須賀文庫」の印がある。徳島県指定有形文化財である。徳島城博物館所蔵。 呉郷文庫本(阿波国文庫) 明治31年(1898年)に後藤家本から写本が作られ、さらにそれから明治45年(1912年)に写されたもの。「阿波国文庫」の印がある。国立国会図書館所蔵。 『阿波誌』 昭和6年(1931年)に、笠井藍水(1891年-1974年)が活字で刊行したもの。1976年(昭和46年)に復刊版が刊行されている。ただし誤字があるほか、原本とは構成が変更されている。
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諸本
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写本は多く、20数本に及び、そのほとんどが江戸時代の書写である。 基本は4巻4冊本で、字句に異同はあるものの、内容はほとんど変わらない。その中で主に、大きく以下のように分けられる。 前田家本系(原形に近い) 穂久邇文庫系(室町中期の書写だと言われる) 改作本もあるが、部分的な表現の変化にとどまる。
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諸本
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大東急記念文庫本(草稿) 紙数36丁。おびただしい書入れや抹消、訂正などの推敲の跡があり、また筆蹟からも去來自筆と見られ最も信頼すべき底本である。「先師評」「同門評」の2篇のみが現存する。大正の末に旧古梓堂文庫蔵に帰し、潁原退蔵により去來抄の原本であると立証されて世に出た。戦後に大東急記念文庫蔵となった。去來抄撰述の推敲過程を伝えた現存唯一の原本であるとして、1978年6月15日に重要文化財に指定された。 安永板本(版本) 尾張の加藤暁臺が編者として序文を書き、井上士朗が跋をつけ、板下は嚔居士一音が浄書したと見られる。「故實」篇を除く「先師評」・「同門評」「修行教」の3篇を上中下の3巻3冊として刊行された。夏目成美は『隨齋諧話』にて「故實」篇が欠けていることを惜しんでおり、浄書者である一音自身が『左比志遠理』において「故實」篇を含む『去来抄』4巻本を推薦している。本来4巻本の写本から、刊行に際して暁臺が「故實」篇を除いたのではないかとされる。 国立国会図書館本(写本) 1冊。筆者・書写年代は未詳で「一枝菴」との蔵印がある。ただし筆蹟・装幀・蔵印を同じくする『三冊子』および『旅寝論』の写本が国会図書館にあり、特に『旅寝論』は1778年(安永7年)の板本を筆写して1787年(天明7年)跋の重厚編『もとの水』の写しを付載することなどから、あるいは安永から天明(1772年~1781年)期前後のものとされる。本文は四篇を完備し、誤写・誤脱もあるがきわめて丁寧に筆写している。「先師評」「同門評」については大東急記念文庫本の書入れや抹消、訂正などに忠実に従って書写しており、その意味で草稿本系統に属する。前半二篇から類推して、「故実」「修行」の二篇の底本とされる。 天理図書館巻子本(写本) 巻子本2巻。筆者・書写年代は未詳。旧紫羊文庫蔵。本文内容はほぼ国立国会図書館本と共通する。 天理図書館本(写本) 1冊。三浦若海旧蔵。題簽は「芭蕉翁評談 去來抄 上中下合巻」と記される。巻末の識語に宝暦9年(1759年)とある。書写本からの転写本で比較的年代の古いもの。本文は簡略であり、おそらく内容の大意を取って筆写している。附録として『去來抄』に洩れた『花實集』の14ヶ条の抄録を巻末に付載する。本文には若海が板本系統の異本によって詳細な朱書校合を加えており、この異本は「若海朱書校合本」とも呼ばれる。 蕉門秘決集(写本) 1冊。表紙に「去來集」、扉に「落柿舎去來述 蕉門秘訣集」、内題に「去來集 蕉門秘訣」とある。巻末に識語を記す。本文内容はほぼ国立国会図書館本に共通するが、天理図書館本に近い部分もある。 大磯義雄本(写本) 大礒義雄架蔵の本。1冊。天理図書館本と同じく、巻末に『花實集』の抜抄を添えている。大礒は、若海が校合に供した異本と同じ系統の書としている。筆者・年代ともに不明だが、本書には本文の一節毎に石河積翠の『去來抄評』を「評」として加えており、『去來抄評』成立の寛政(1789~1801)期頃のものとされる。 文里筆写淡々本(写本) 復本一郎架蔵の本。半時庵淡々が機会を得て去来自筆本から書写して門人に伝来したものを、1806年(文化3年)に田辺文里が写したもの。誤字脱字は見られるものの、素性の明らかな「故実」篇の書写としては現存唯一という。復本は国会図書館本が属する草稿本系統との違いから、『去來抄』浄書本の存在を想定し得るとする。 蛙夕坊本(写本) 大内初夫架蔵の本。表紙茶色、半紙本1冊、袋綴じ。始めに遊紙1枚、墨付き69丁。左肩に題簽が貼られ「去来抄 全」とある。「故實」「修行」「先師評」「同門評」の順に並ぶ。書写者蛙夕坊の識語に「此書ハ、去来先生の舎弟魯町(向井元成也)方に有りしを百花先生写し置きたまふを、後百花紗鹿子より写し伝へ侍る也。(後略)」とあり、草稿本系統に属する。「故實」「修行」の底本として用いられる国会図書館本は誤字脱字が多くて善本とは言えず、大内は校本の作成を重要としている。 贄川他石蔵本 椙軒素秋の正本を知足齋が筆写したもの。贄川他石が『芭蕉全集』(日本名著全集;江戸文藝之部;第3巻)を編纂するに際し底本として用いた。
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諸本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 09:56 UTC 版)
本書には完本・零本(端本)も含めて、数多くの写本が存在する。 また江戸時代には版本の形でも刊行されているが、十巻本は当時写本の形で流布したためほとんど梓に上らず、二十巻本が重点的に刊行された。 以下、影印・複製や直接閲覧により閲覧可能なものを筆写年代・刊行年代順に挙げる。
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諸本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 09:55 UTC 版)
二巻本『色葉字類抄』 - 尊経閣文庫蔵永禄8年(1565年)写本がある。 三巻本『色葉字類抄』 尊経閣文庫蔵鎌倉初期写本(前田本) - 中巻及び下巻の一部を欠く。 黒川真三男蔵江戸中期写本(黒川本) - 完本。 十巻本『伊呂波字類抄』 学習院大学図書館蔵鎌倉初期写本 - 零本。 大東急記念文庫蔵室町初期写本 - 完本。 その他江戸時代の写本多数。
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諸本
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沢庵宗彭自筆のものは3つ残っており、それを渡す相手によって細かな点で相違がある。例えば漢文が不得意な人に与えたものには行間にかなを付けて読みやすくしているなどである。その自筆本の中でもっとも丁寧なものは作家の大佛次郎が持っていたもので、大名の若殿か姫君に渡したものかと思われるほどである。
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諸本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/26 02:04 UTC 版)
尊経閣文庫に伝冷泉為相本が伝存し、現存本は、ほぼこの系統に属す。尊経閣本は誤綴があったことが知られており、現存諸本はこれに起因する本文上の混乱を残している。尊経閣本は、為相筆ではないと目されるが、近い時代のものという。鎌倉時代の零本が伝わり、尊経閣本と系統が異なるとされる。 刊本には寛文二年本のほか、刊年を欠く本、無刊記本がある。校合本には、内閣文庫本に基づく続群書類従本があり、近代に入って古典文庫本(永井義憲翻刻)、美濃部や、『校本閑居友』(濱千代清、1974)、『閑居友 本文及び総索引』(峰岸明、王朝文学研究会編)、小島がある。古典文庫本以下はすべて尊経閣本を底本としている。
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諸本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/13 08:04 UTC 版)
「日本国現報善悪霊異記」の記事における「諸本」の解説
『日本霊異記』の古写本には、平安中期の興福寺本(上巻のみ、国宝)、来迎院本(中・下巻、国宝)、真福寺本(大須観音宝生院蔵、中・下巻、重要文化財)、前田家本(下巻、重要文化財)、金剛三昧院(高野山本、上中下巻)などがあり、興福寺本と真福寺本が校注本においても底本に用いられることが多い(『日本霊異記』の諸本については小泉道『日本霊異記諸本の研究』1989)。
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諸本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/14 02:22 UTC 版)
完本は存しない。観智院本は仁平2年(1152年)の奥書を有するが、奥書は本文と別筆であり、本文書写はこれ以前にさかのぼる。上・中・下巻を揃えるが、下巻は後半を欠く。また、中巻のみ「注好選抄」と題されており、本来の中巻から一部を抄出したものであることが知られる。 宮内庁書陵部本は、観智院本の中巻途中までの転写本。 金剛寺本は「注好撰」と題され、元久2年(1205年)の奥書を有する。中巻ならびに下巻の数話のみを収めるが、観智院本とは異なり中巻は完備する。 また、金剛寺本の異本注記に引用される本文が観智院本のものと異なることから、さらに別系統の本文が存在したと考えられる。 観智院本は東寺貴重資料刊行会、金剛寺本は「和泉書院影印叢書」によって影印が公開されている。岩波書店「新日本古典文学大系」の『三宝絵・注好選』収載。
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諸本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/16 10:09 UTC 版)
能阿弥本『群書類従』所収本。文明8年(1476年)3月11日、大内左京大夫(大内政弘)宛に能阿弥が奥書し、百花庵宗固(萩原宗固)が筆写した本を、大久保酉山の蔵本と校合し、1898年に塙保己一が編集したもの(『近代デジタルライブラリー』所収) 『群書類聚』新校版(『近代デジタルライブラリー』所収)。画品は次の通り。上50人、中38人、下68人、計156人(内1人重複) 相阿弥本東北大学本 永正8年(1511年)、10月16日真相(相阿弥)の奥書と花押を模写した永禄期(1558年-1569年)の伝書で、諸本中最も信頼されている。画品は次の通り。上49人、中41人、下87人、計177人 博物館本 永正8年(1511年)、10月16日真相(相阿弥)の奥書と花押を模写した写本(松翁居士写)を明治17年(1884年)に刊行した博物館蔵版がある。画品は次の通り。上44人、中41人、下87人、計172人 中国絵画鑑定本 第1部の部分や、他の画譜に収録された本、印譜を追加した本。『君臺觀』(君臺觀印譜) 正保4年(1647年)の吉田傳右衛門開版(『百度文庫』所収)や、承応元年(1652年)の吉野屋権兵衛版(寛文7年(1667年)狩野安信朱筆書入れ『図絵宝鑑』巻5として所収)等がある。これらの印譜は偽物が多いとされる。安信は『君臺觀』では、例えば呉道子の印譜には「閻立徳カワカレ 釈迦ニ見ル」など、「上繪」50名中79印、「中繪」36名中38印、「下繪」66名中67印を「~ニ有リ」と記している。
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諸本
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写本は多く、現在判明している限りでも30数本に上る。中でも龍門文庫本は、本書の成立から間もない頃の写本とも推定され、その意味で貴重な価値を持つものである。これに次ぐ江戸中期の写本としては、新井白石の書写に係る岩崎文庫本の他、水戸彰考館本や宮内庁書陵部本・神宮文庫本・内閣文庫本・天理図書館本などが挙げられる。江戸後期以降にも本書は数多く書写されて現在に伝わっているが、もともと一般庶民を読者として想定したものではなかったためか、本書が初めに版行されたのは近代に入ってからのことになる。なお、これらの本文については、龍門文庫本における「関城書」の採否という点を除き、大きな異同は認められない。 翻刻は、『改定史籍集覧3』・『校註国文叢書18』・『新釈日本文学叢書2輯6』・『日本歴史文庫1』・『百万塔4』・『古典文庫482』などに収録されている。
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諸本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 19:19 UTC 版)
版本を底本とした翻刻に『続群書類従』巻第六百五合戦部、『甲斐志料集成』、『甲斐叢書』、清水茂夫・服部治則校注『武田史料集』などがある。また、『甲乱記』には版本とは内容が異なる写本系の伝本が存在し、色川三中旧蔵本の翻刻に丸島(2013)がある。
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寛永18年版、万治2年版、元禄10年版などがある。 寛永版は74条からなるが、万治版は絵入りで寛永版よりも話題が17項少ない。内容にも改変があり、著者の浄心に関する情報や後北条氏とあまり関係しない話題が削られたり、各巻に散在していた小田原攻めの話題が簡略化されて巻10にまとめられたりしている。 元禄10年版は原作をもとに古浄瑠璃の台本としたもので、朝倉治彦は、同版と『三浦北条軍法くらべ』(寛文8年・1668年)を『北条五代記』に取材した別書としている。
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諸本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/06 09:57 UTC 版)
中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。大唐西域記 写本・版本 写本 - 日本伝来の古写本 版本 - 『四庫全書』・『四部叢刊』・『大正新脩大蔵経』等 近代の校注版 上海人民出版社の校点本(1977年) 中華書局の校注本(1985年) 羽田亨ほかによる校訂本(大日本図書、1911年) - 『大唐西域記校異・索引』と共に刊行 「西域行記索引叢刊1」(中西印刷(松香堂)刊、1999年)- 高田時雄・京大人文研共同研究班編 日本語訳 『中国古典文学大系 22 大唐西域記』(平凡社、初版1971年) - 水谷真成訳註、平凡社東洋文庫 全3巻(1999年)で改訂版 『大乗仏典 中国編 9 大唐西域記』(中央公論社、1987年)- 高田時雄・桑山正進訳注、抄訳だが詳細な訳・解説 『西域記 玄奘三蔵の旅』(「地球人ライブラリー」小学館、1995年) - 桑山正進抄訳・解説での読み易い入門書
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『保元物語』には多くの本文系統があり、3巻本、2巻本のものが現存している。分類については種々の論があるが、現在では9類に分ける永積安明の説が定説となっている。以下に、各系統の代表的な本文を掲げる。
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慈光寺本 もっとも成立が早いとされる。鎌倉中期頃の成立で、山城国の慈光寺に伝わったとされることから、慈光寺本と呼ばれる。『承久記』の流布本とは内容、思想的な違いが見え、序文で仏説に基づき、日本における神武天皇以来のそれまでの国王兵乱について述べてから承久の乱への記述を始める。他にも承久の乱に対する後鳥羽上皇の姿勢が流布本に描かれる姿より消極的である、宇治合戦の記述がないなど、流布系と記事の内容が違う場面がいくつか見られる。水戸彰考館が原本を所蔵。他に東京大学史料編纂所や慶應義塾大学にもある。 古活字本(流布本) 元和4年(1618年)刊行の古活字本などがある。後鳥羽上皇の専制、三代将軍実朝の暗殺、合戦の原因・経緯などを述べて、土御門上皇の阿波国配流までを書く。内閣文庫、天理図書館などが所蔵。記述の一部には、『六代勝事記』からの引用と思われる同内容のものがあり、漢籍などを引用して後鳥羽上皇に対する批判が書かれる。一説に原型となった慈光寺本『承久記』に『六代勝事記』の思想を受容して流布本が成立したものとする意見がある。 承久兵乱記 『続群書類従』(合戦部)所収。上下2巻。ほとんどが仮名書き。流布系『承久記』と若干内容が違う場面があり、『吾妻鏡』からの補入があるとの指摘もある。鎌倉後期~南北朝期にかけての成立と見られる。 承久軍物語 江戸中期の成立。流布系古活字本に『吾妻鏡』の記事を補入した絵詞物。作者未詳。
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諸本
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『神道集』は、現存・不明を含めて、二十本近い写本がある。それらは古本系統と流布本系統に分かれる。古本系統は、赤木文庫本(現天理図書館蔵)、真福寺本、天理図書館本など。流布本系統は東洋文庫本、旧豊宮崎文庫本・旧林崎文庫本(現神宮文庫蔵)、静嘉堂文庫本、無窮会本、河野省三旧蔵仮名本(現國學院大學蔵)など。最近確認されたものでは、天海旧蔵本(現盛岡市願教寺蔵)、国立歴史民俗博物館本(田中穣旧蔵)、同志社大学本がある。他に茨城県常福寺、東京大学にもあったようである。また慶応三年豊後国東郡田染の八幡宮に、多くの神道関係の書籍が奉納されたが、その内に神道集があったそうである。
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諸本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/05 17:36 UTC 版)
写本は多く、『国書総目録』登載のものだけでも70本以上に及ぶ。現存諸本は大別して真名本と仮名本(仮名交り本)の二系統があり、ともに内容は大同小異だが、強いて言えば、真名本の方がやや簡潔であって古態を残すとされる。これに属する写本としては、彰考館本・内閣文庫本・東大史料編纂所本などがある。 翻刻されたテキストは、真名本が『改定史籍集覧3』に、仮名本が『百万塔4』・『日本歴史文庫1』(ただし南朝紀伝として)にそれぞれ収録されている。
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諸本
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延宝6年(1675年)林鵞峯序の尚栄堂・文永堂1899年版和装本巻一:「本朝画印」の序もある。 巻ニ 巻三 巻四 巻五 狩野永納撰『本朝画史』と檜山義慎撰『続本朝画史』を合冊し『本朝画史』とした(1883年)佚存書坊版、5巻5冊。上巻 中巻:中世名品 下巻:専門家族、雑編 続巻 : 皇朝名画拾彙.上 続巻 : 皇朝名画拾彙.下 1917年坂崎担編著『日本画談大観』所収の活字本(構成は既出分) 1985年に笠井昌昭等が詳細な研究成果を加えた『訳註本朝画史』(同朋舎出版)がある。同上の全文:『訳註本朝画史』(一) 『訳註本朝画史』(三) 『訳註本朝画史』(四) 『訳註本朝画史』(五)
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諸本
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諸本あるが、古い年代では、「大頭左兵衛本」(26番を収録)が室町末期の書写とされるものがあり、これには朱筆で音曲がつけられている。 「大頭一本」(江戸初期の写本)や、文禄2年「平瀬氏本」(45番を収録)には音曲がついていないにも拘わらず、研究者からは大頭系統の正本とみなされている。「桃井氏本」(江戸初期。桃井直英が旧蔵、41番を収録)は、八郎九郎家の正本と推考されている。 また曲本でなく、江戸初期に美濃紙に木版印刷された絵入りの大本を『舞の本』という。舞のための台本ではなく読み物として用いられた。近代に刊行された原文テキストの例としては、慶長14年(1609年)の伝幸若小八郎本(慶応大学蔵)や、寛永年間版が挙げられる。
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諸本
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原本の現存は、確認できていない。写本のうち、彦根藩に提出したものに最も近いと思われる乾坤2冊本は、彦根城博物館所蔵(井伊家伝来典籍)。龍潭寺には、2種類の写本が伝わる(いずれも2冊本)。そのうち1種類の写本は最後の1丁が失われている。この失われた状態で筆写されたものとして、静岡県立中央図書館所蔵の2種類、彦根市立図書館所蔵の写本(井伊谷の二宮神社神主の中井直恕による注釈が書き込まれており、また、本文の人名表記などに改変がみられる)などがある。 個人所蔵本をもとに、現代語訳を活字化したものとして、たちばな会『井伊家傳記』(2000年)がある。
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諸本
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現存している諸本は、次の二系統に分けられる。 盲目の僧として知られる琵琶法師(当道座に属する盲人音楽家。検校など)が日本各地を巡って口承で伝えてきた語り本(語り系、当道系とも)の系統に属するもの。 読み物として増補された読み本(増補系、非当道系とも)系統のもの。
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諸本
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梅松論の写本には古本系と流布本系があり、諸本により異動が多いことで知られる。流布本は『群書類従』第20輯に収められている。古本系は、その一つの京大本(京都大学文学部博物館所蔵)が、1964年に『国語国文』33巻8–9号で初めて翻刻・紹介された。他に古本系に属するものとしては、天理図書館が所蔵する天理本、彰考館文庫が所蔵する寛正本(下巻のみ)がある。 古本系と流布本系の目立つ違いとしては、流布本系では細川氏に関する記事が多数追加されている。また、古本系では、語り手、聞き手、筆写者の三人によるやり取りも描かれ、物語としての趣も大きく異にする。
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諸本
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『稲生物怪禄』は実に多くの形態で展開したが、成立時期や作成者、成立当初の書名など、いまだ明確になっていない部分が多い。大別すると、ひとつは「物語」としての作品群、もうひとつは「絵巻」や「絵本」としての作品群である。
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諸本
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竹取物語の本文系統が本格的に研究の対象となったのは昭和に入ってからである。1930年(昭和5年)、初めて徳本正俊によって3系統に分類された。1939年(昭和14年)に新井信之によって「古本系」「流布本系」の分類が示され、そして昭和40年(1965年)に中田剛直がそれまでの研究を受けた上で示した、流布本を3類7種とする分類が現在最も一般的なものとなっている。古本系については、中田は2類2種、南波浩は後光厳院本を加えて3類4種に分類している。以下に、中田・南波による分類を元にした主要伝本一覧を示す(カッコ内の伝本は分類発表時に未発表だったもの)。 流布本系 通行本系とも呼ばれる。現在最も広く流布している本文。 第1類第1種 武藤本・平瀬氏旧蔵本・高山図書館蔵(田中大秀旧蔵)本 第2種 加賀豊三郎蔵本・武田祐吉旧蔵本・久曾神昇蔵甲本 このうち、久曾神蔵甲本は極めて特異な本文を有した写本である。 第3種 前田善子旧蔵本・山岸徳平蔵本 第2類島原候旧蔵本・北島家旧蔵本・度会正董書入本・荒木田久老書入本・(チェスター・ビーティ図書館蔵J1125絵巻本) 第3類第1種 蓬左文庫蔵本・吉田幸一蔵本・久曾神昇蔵乙本・静嘉堂文庫蔵丹羽嘉言筆本 第2種A群 尊経閣文庫蔵本・戸川浜男旧蔵本・彰考館蔵金森本・群書類従本・(里村紹巴本)・(高松宮旧蔵本) B群 内閣文庫蔵本・滋岡氏旧蔵本 第3種イ種 大覚寺蔵本・書陵部蔵霊元院外題宸筆本・書陵部蔵伊左左米言本 ロ種 徳本正俊蔵本・古活字本・整版本 など 中田によれば、現存する写本(多くの絵巻・奈良絵本を含む)の大半は第3類第3種に属する正保3年版本の転写本である。 現在最も一般的な竹取物語の本文は、第3類第3種に属する古活字十行甲本を底本とするものである。 古本系 上賀茂神社三手文庫に伝わる、今井似閑が1707年(宝永4年)に校合・書き入れを行なった1692年(元禄5年)刊本における奥書に、 ある古本を以て一校せしめ畢ぬ 互ニ見合セハ好本と成侍るへし 宝永四亥ノ八月 洛東隠士 とあることから名づけられた。流布本系と比較すると数多くの異文を有しており、より古態を残すとされる。 第1類 後光厳院本(断簡)いずれも南北朝時代(14世紀)頃の一写本から切断された断簡とみられる。伝承筆者を後光厳天皇筆とする10葉と、二条為定筆とする1葉の、計11葉が確認されている。2021年にこのうち1葉についての放射性炭素年代測定の結果が報告され、鎌倉時代末期から南北朝時代(13世紀末から14世紀末頃)の書写であったことが確認された。 第2類 新井本 新井信之が所蔵していたもの。1942年(昭和17年)前後に出現した写本である。 もむけとゝせあまりふたとせ なかつきころうつす ながとき という奥書を持つ。すなわち1815年(文化十二年)の写本で、古本系統で唯一の完本である。第3類の諸本よりも第1類の本文に近いとする説(中田剛直、南波浩など)、第3類第2種のごとき三手文庫本系の転写本であるとする説(吉川理吉、中川浩文)、逆に第1類より上位の本文であるとする説(中田武司)があるが、中田剛直は、三手文庫本の「古本」には極めて近似しているも全くの同一ではなく、後光厳院本本文と比較すると似閑の校合ミスと思われる異文が見られることからも、三手文庫本の転写ではなく、古本系内の別系統本としている。 第3類第1種 三手文庫本・桃園文庫太氏本 第2種 光藤本・京大本・書陵部蔵恬斎書入本・桃園文庫書入写本・平瀬本・服部本・(賀茂経樹旧蔵(中川浩文蔵)本) 全て三手文庫本の転写であり、流布本系の本文に対する書き入れ・校合の形で伝えられる。 上記の他に、伝承筆者を阿仏尼とする古筆切の存在が藤井隆によって報告されている。 なお、和歌の一部が鎌倉時代の『海道記』や『風葉和歌集』、室町時代の『塵荊抄』に、梗概としての本文が室町時代の源氏物語の梗概書である『源氏物語提要』や注釈書である『花鳥余情』(共に絵合巻についての記事)に、それぞれ引用されている。 古本系本文と流布本(通行本)系本文については、南波浩は『海道記』に引用された和歌二首が、一首が古本系からの引用であるのに対し、もう一首が流布本系と古本系を混用したものになっていることから、鎌倉時代中期頃には既に両系が並立していたとする。 古本系本文に対しては、「中世における改変本文の可能性が強い」(片桐洋一)「江戸時代の学者が『竹取物語』の不審部分を合理的に理解しようとしてテキストをいじくったもの」(保立道久)といった批判的な意見もあるが、中田剛直は『花鳥余情』の梗概本文は新井本に近い古本系の一本に近似すること、古型をもつと指摘される京大本や狩野文庫本などの『風葉和歌集』の竹取和歌が古本系であることから、「現存古本系統系の一本が、通行本系に先行せるものではないか」とし、上原作和も「まさに「古本」と称する価値の本文を有するもの」と述べるなど肯定的な意見もあり、意見が分かれている。
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諸本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/14 09:25 UTC 版)
以下は現存するレメゲトンの英語古写本のリストである。いずれもロンドンにある図書館に収蔵されている。 写本所在作成年代筆記者備考スローン MS 3824大英図書館 不明 不明 未完成なレメゲトンの断片を含むもの。イライアス・アシュモール(英語版)の蔵書。 スローン MS 3825大英図書館 1640/1年 不明 ジョゼフ・H・ピーターソン編集版『ソロモンの小鍵』の主要底本。 スローン MS 3648大英図書館 17世紀 不明 アグリッパとパラケルススの抜粋を含む。 スローン MS 2731大英図書館 1686/7年 不明 多くの現代版の底本。第5部がなく不完全。 ハーリー MS 6483大英図書館 1712年-1713年 ピーター・スマート スキナー&ランキン『ラッド博士のゴエティア』に収録。 ウェルカム MS 4665ウェルカム図書館 19世紀 フレデリック・ホックリー(英語版) エベニーザー・シブリー(英語版)の蔵書から写したもの。断片のみ残存。 ウェルカム MS 3203ウェルカム図書館 1843年 ヘンリー・ドーソン・リー フレデリック・ホックリーの写本の写し。第2部まで。
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諸本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/15 17:14 UTC 版)
『華夷変態』の原本は、全35巻から成り、林家に代々受け継がれたが、林衡(林述斎)の代に幕府の紅葉山文庫に献上され、後に内閣文庫を経て国立公文書館の所蔵となっている。初期の写本としては、島原松平家などに伝わるものが知られているが、江戸時代のうちに完本が出版されることはなかった。 全35巻のうち、最初の5巻は、明復興の試みへの言及が多く盛り込まれていることから、江戸時代からここから抄録した内容の、いわゆる「通行本」『華夷変態』が流布していた。 1906年には、「通行本」から、漢民族の清朝への抵抗活動に関する記述を抜粋して編集しなおした「漢文本」『華夷変態』が、中国人留学生によって東京で刊行された。その内容の一部、特に序文などは、原本や通行本とも異なっている部分を含んでおり、「留日学生の民族主義的な革命思想を、明清交替の歴史状況に託して表現したもの」と評されるような改変箇所もある。
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諸本
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アルス・ノトリアに分類されるテクストを含んだ写本はヨーロッパと北米の図書館に散在しており、現存写本数は50を下らない。 『フランス大年代記』によると、14世紀初頭にモリニーのヨアンネス(英語版)なるベネディクト会士の著したアルス・ノトリア系の書物がパリで焼き捨てられた。『天上の教えの精華の書』 Liber florum celestis doctrine 別名『幻視の書』 Liber visionum と呼ばれるこの書物は、近年までその実物の存在が知られていなかったが、1990年代に複数の写本の所在が判明した。アルス・ノトリアを行って悪夢的ヴィジョンを得た修道士ヨアンネスが、悪魔的祈りが混入して汚れてしまったとアルス・ノトリアを非難し、聖母マリアに導かれてこれを刷新するために作ったものである。 アルス・ノトリアの刊本は17世紀に初めて出版された。1620年頃にリヨンで出版されたアグリッパの著作集 Opera に収録されたラテン語版がそれである。その後、イングランドで占星術師/医師のロバート・ターナーによってその英訳版 The Notory Art of Solomon (1657) が出版された。これらの刊本にはアルス・ノトリアを特徴づける各種図符は掲載されていない。17世紀以降の英語写本が残存する魔術書『レメゲトン』は4巻で構成されているが、第5巻として「アルス・ノトリア」が加えられているものもある。その内容は上述の1657年刊 The Notory Art of Solomon の抄録である。
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諸本
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現在伝わっている『入菩薩行論』には、サンスクリット諸写本、チベット語訳、宋代の漢訳(天息災訳『菩提行経』)、モンゴル語訳(チベット語からの重訳)がある。また、近年では敦煌文献の中に著者名をアクシャヤマティ(英語版)(Akṣayamati)とする同論の異本があることが知られている。この敦煌出土チベット語写本は現行梵本の2章と3章が分離していない9章立てになっており、後代の増広を経た10章からなる現行の梵本や蔵本よりも原形に近いと推定されている。天息災による漢訳『菩提行経』は、聖龍樹菩薩が経典の偈頌を撰して作ったという体裁を取っており、シャーンティデーヴァの述作とする梵本やチベット訳と相違する。また、現行梵本の第3・4章に当たる部分がなく、第三「護戒品」が第5章に対応し、全八品となっている。
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諸本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/05 01:15 UTC 版)
近現代まで残ったとされる伝本は、以下の四本である。 承空本 彰考館本 美濃判袋綴本 - 戦災で焼失した 書陵部本 承空本を除く3本は江戸前期のもの。 承空本は平成十四年に冷泉家時雨亭叢書として写真版で公開せられたもの。
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諸本
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成立事情から、現存する諸本も大別して2系統がある。すなわち、准勅撰集としての形を整える以前の初度本(独自歌8首を含む1420首)と長慶天皇の奏覧に供された際の奏覧本(独自歌6首を含む1418首)の2つである。内閣文庫本・吉水本・富岡本を始め、およそ写本は奏覧本系に属しているが、流布本である承応板本は初度本系に属しており、松井本はこの系統の祖本と目される。もっとも奏覧本系には、流布本との校合で8首が書入れられた結果、計1426首を備えている写本も多い。
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諸本
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『まつらさよひめ』の物語(御伽草子)の異本はしめて7本で、うち内容の充実した2本が「広本系」に分けられる;すなわち赤木文庫版「さよひめのさうし」の古写本(挿絵なし、慶長頃成立、16世紀末~17世紀初頭)と、奈良絵本版「さよひめ」(京都大学蔵)である。 残りの異本は「略本系」に分類されるが、「壺坂物語」や「ちくふしまのほんし」(竹生島の本地)などの異なる題名が与えられている。 奈良絵本版「さよひめ」の稿本と極めて文章が近く、これをもとに翻案されたとみなされるのが、説教節「まつら長じや」(松浦長者。寛文元年/1661年成立)である。
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諸本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 10:13 UTC 版)
著者自筆本は現在伝わっていない。写本・版本は多いため、以下一部挙げておく。
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諸本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 22:52 UTC 版)
本書は『源氏大鏡』をはじめ、『大かがみ』(天理大学図書館蔵本)『源氏秘抄』(静嘉堂文庫蔵本)『源氏歌詞』(神宮文庫蔵本)など、様々な表題を持つものが存在する[要出典]。本文系統は以下の3系統ないし4系統に分けられるが、各諸本の題名と必ずしも系統分類は一致しない。 第1類 - 『源氏大鏡』(慶長8年奥書)をはじめとした『三帖源氏』の書目を持つ類。 第2類 - 『浅聞抄』(宮内庁書陵部)などの類。 第3類 - 『源氏無外題』(東北大学図書館)などの類。 第4類 - 第1類の省略やその内容を利用したもの。 第1類が原型で、第2類と第3類はその改訂と考えられる。一条兼良や北野松梅院撰とする本もあるが信憑性は薄い。
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諸本
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「幸若舞#諸本」も参照 現存最古のテキストは、一説では室町末期の幸若舞の台本(曲本の写本)とされる。これは《大頭左兵衛本》所収のものであるが、題名は単に『大臣』であり、主人公も「百合草若大臣」、「百合草大臣」、「ゆりわか大臣」と幾通りかの名称で登場する。 また能楽にも室町末期の謡曲『百合草若』があり、こちらも主人公が「百合草若」とも「百合若」とも表記されている。 幸若舞の台本のテキストは、のちに「舞の本」と題する読み物として普及するようになった。そうした「舞の本」版の百合若説話には戦国?江戸初期にかけて木版刷本が数種ある。このうち慶長14年(1609年)本「百合若大臣」 や、寛永年間本 などが、近代において校訂・出版されている。 人形劇をまじえた説経操りの演劇である「百合若大臣」には、日暮小太夫(ひぐらし こだゆう)の正本(寛文2年刊行)がある。 浄瑠璃には近松門左衛門作『百合若大臣野守鏡』(宝永7年/1710年)があるが、これには例えば鷹の緑丸が、雌鷹の矢羽をつけた矢の精霊に置き換わるなど、様々な改変が加わり、(元の粗筋から離れた)後世の作品と評される。為永太郎兵衛の作の『百合稚高麗軍記』は、鷹はそのまま生き物として登場するものの、それ以外では粗筋の逸脱はいっそう甚だしい。古浄瑠璃としては『百合若麿』(井上播磨掾の正本)、『百合若高麗攻』(岡本文弥)があることが、水谷不倒の研究であきらかにされているという。
※この「諸本」の解説は、「百合若大臣」の解説の一部です。
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諸本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 00:44 UTC 版)
広本と略本があり、広本は更に古本系と流布本系に分けられている。 広本古本系 : 大福光寺本、前田家本 など 流布本系 : 一条兼良本、嵯峨本 など 略本 : 長享本、延徳本、真名本 など 各本の関係を、長明自身による推敲の各段階を表すとする見解と、後代の書写、改作による変化とする見解がある。 現代の研究において底本とされることの多い大福光寺本は古本系に属し、漢字と片仮名による仮名交じり文である。これに対して、流布本系は平仮名交じりの仮名交じり文で書かれ、古本系との本文の異同も少なからず存在する。 略本は長明の体験した災厄に関する記述がなく、その他の部分にも異同が大きい。中でも真名本は漢字のみで書かれている。
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諸本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 22:27 UTC 版)
現在『伊勢物語』の本文として読まれているものは、藤原定家が天福2年(1234年)に書写した「天福本」と呼ばれる系統の写本をもとにしたもので、刊行される単行本や文庫本、また学校等で使われる教科書類での引用など、この「天福本」の本文によらぬものはないといってよい。しかし『伊勢物語』の伝本については以下に述べるように他にもいくつかの系統があり、『伊勢物語』の成立が現在に至るも解明されていない状況においては、伝本についての研究はないがしろにできないものといえよう。その系統について説明すると大きく五つに分類できるといわれている。 (1) 定家本系統 … 藤原定家が書写したとされる本で、125段・和歌209首からなる。現存する『伊勢物語』の写本の実に95%以上がこの系統に属するといわれている。定家本はその奥書によって、さらに三つの系統に分けられる。 (A) 流布本(根源本)系統 …「抑伊勢物語根源…」に始まる奥書を持つ。定家はその生涯で何度も『伊勢物語』の書写を行っており、この根源本と呼ばれるものは、定家が書写したものの中では比較的早くできたものといわれている。根源本系統は現在までの研究によって、さらに数種の系統に細分化されることが明らかになりつつあり、どれぐらいの系統に細分化できるかについては学者によって異なるところであるが、さらに研究が進むことが期待される。しかし定家自筆の根源本は現在ひとつも残っていない。天理大学附属天理図書館蔵伝為家筆本、九州大学蔵伝為家筆本など鎌倉期の転写本があるが、天理図書館蔵伝為家筆本の末尾には他本(小式部内侍本〈狩使本〉ではないかといわれる)から採ったという18章段が付加されている。 (B) 天福本系統 …「天福二年正月廿日已未申刻…」に始まる奥書を持つ。定家自筆本は江戸時代、火災に遭い焼失したという。三条西家旧蔵本(現在は学習院大学蔵本)などがある。(a) 学習院大学蔵本 … 三条西実隆が定家自筆の天福本を忠実に書写した本とされている。現在活字で出版されている『伊勢物語』のほとんどは、この写本を翻刻・校訂したものである。なお、天福本で実隆が書写したものについては他にもあり、それは四国今治市の河野記念文化館に所蔵されるという。 (b) 冷泉為和筆本 … 宮内庁書陵部の所蔵。冷泉為和が天文16年(1547年)に、定家自筆本を直接書写したもの。奥書に漢字・仮名の使い分け、行数の不同、紙数、外題にいたるまで、そっくりそのまま定家自筆本の通りに書き写した旨が記されている。 (C) 武田本系統 … もとは冷泉家に伝わる定家自筆の本であったが、様々な人の手を経たのち武田伊豆入道紹真が所持し、その後も若狭の武田家が所有していたところからこの名がつけられた。「合多本所用捨也…」に始まる奥書を持つ。武田本も定家自筆のものは江戸時代に消息を絶っており、現在残っているのはその転写本である。山田清市は天福本と武田本の本文を比較し、天福本には4箇所において誤写とみられる部分が存在するのに対し、武田本には本文における欠陥がないことを指摘している。 (2) 古本 … 定家本とほぼ同じ内容。系統的には定家本に先行するものといわれる。ただし、初期の無奥書定家本である可能性も否定できない点は注意しなくてはならない。 (3) 真名本 … 文字どおり、「真名」(漢字)で書かれた伊勢物語。初段から終焉まで125段・208首からなる。定家本と近いが内容に多少出入りがある。用字法などから鎌倉時代以降、あるいは南北朝時代以降の成立であろうといわれている。 (4) 広本系統 (A) 大島本 … 定家本に見えない章段を1段持つ代わりに、定家本115~117段が欠落しているため、章段数は123段である。また、巻末に皇太后宮越後本からの12章段と小式部内侍本からの24章段を併せ持つ。現在千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館に所蔵。 (B) 日本大学図書館本、阿波国文庫蔵本、谷森本、神宮文庫本 … 134段。初冠から終焉まで119段、それ以降に業平自筆本から採ったという14段を付記。 (C) 一誠堂本 … 97段。ただし、巻末に小式部内侍本の13章段を持っている。 (D) 泉州本 … 136段。定家本にはない10章段を持っているが、末尾は定家本125段にあたる部分となっている。また、第30段に返歌を載せた形式のものを末尾近くに再出させる。この本は戦災で焼失したがそれ以前に翻刻したものがあり、中田武司『泉州本伊勢物語の研究』(1968年、白帝社)にその本文が収められている。 (5)朱雀院塗籠本 … 奥書に「此本者高二位本、朱雀院のぬりごめにおさまれりとぞ…」とあり、高階成忠本か。初冠から終焉まで全115段。定家本にある11章段をもたず、定家本にはない1章段を持つ。現在は本間美術館(山形県酒田市)に所蔵される。 この他に注目すべき伝本としては通具本がある。この本は巻末に、まず定家本の流布本系統にある「抑伊勢物語根源…」の文章に続き、「堀河大納言通具」(源通具)の本に定家本でもってこの本を書写校合したという意味の奥書があるのでそう呼ばれる。本文は125段、205首。88段以降の章段の順序が定家本とは食い違う部分があり、さらに広本系統の本文を含むが、ほかに上にあげた5系統のいずれにもない本文も含む。古筆了佐の鑑定があり、それによればこの写本の筆者を二条為氏としているがその真偽についてはともかくも、鎌倉時代を下るものではないという。現在は鉄心斎文庫・伊勢物語文華館に所蔵される。 以上、五つの系統の伝本は全て初冠の章段で始まり、「つひにゆく」の章段で男の死によって終焉を見る「業平の一代記」の形をとっていることにより、「初冠本」とも呼ばれている。このほかにも、男が伊勢へ狩の使いに行って斎宮と密通する段(69段)から始まり、「忘るなよ」の章段(11段)で終わる「狩使本」があり、それを小式部内侍が所持していたという伝承がある。これは清輔の『袋草紙』や顕昭の『古今集注』に記されているが、実は両者ともその実物を見たわけではない。現在では「書名の由来を説明するために後から作られた」という説もある。藤原定家はこの本を「狼藉左道」、すなわち許すべからざる偽書であると非難しており、伝本も確認できない。また、古くは「初冠本」と「狩使本」のほかに「業平自筆本」なるものがあり、「名のみたつ」の43段で始まり「つひにゆく」の125段で終るものであったと伝わるが、これも現存しない。 結局、伝本に関しても、完本として現存するのは鎌倉時代以降のものばかりであり、それより以前に遡るものはわずかな古筆切を別にすれば皆無である。『伊勢物語』の原典に迫ることのできる資料は何一つないが、ただ伝本の多さから、いかにこの作品が親しまれ、愛されてきたのかは十分窺い知ることができる。
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諸本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 05:27 UTC 版)
諸本は大別すると2種類あり、童子の住処を丹波国大江山とする「大江山系」と、それを近江国伊吹山とする「伊吹山系」に分かれるとされる。ただこの分類法には異論・慎重論もある。 最古の逸翁美術館所蔵本『大江山絵詞』や、江戸時代の『御伽草子』版本(渋川本)「酒吞童子」が属するのが「大江山系」、サントリー美術館蔵『酒伝童子絵巻』が「伊吹山系」に属する。高橋昌明の場合、2分類を「逸本系」「サ本系」と呼んでいる。 最も古い稿本は『大江山絵詞』(『大江山酒天童子絵巻』。南北朝後期から室町初期頃。逸翁美術館所蔵)のものとされている。これは、下総香取神社の大宮司家旧蔵本で、従来よりの通称として「香取本」と呼ばれている。重要文化財。綴りが「酒天童子」である。南北朝時代~室町初期、あるいは更に古い成立という考察もあり、格段と時代が古いので「原本」とすらみなせるとも。欠損部分が多いが、冒頭は陽明文庫本によって補完でき、結末は本地譚であったことが断片などより判明している。 サントリー美術館蔵『酒伝童子絵巻』(因幡池田家旧蔵、古法眼狩野元信筆) は、室町時代成立で、最古の稿本に比肩して資料性の高いものとされる。 この他、江戸時代の絵巻は、多数伝来する。御伽草子の版本のテキストは、明治の頃よりの編本が存在している。
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諸本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/14 09:49 UTC 版)
四種類に分類される。宗春の事跡を中心に、当時の名古屋城下の生活・風俗・芸能記録などを編年体で記したもの。 『本広遊女濃安都』『遊女濃安都』『遊女濃阿都』『遊女能安斗』『今昔繁栄譚』『鶴廼毛衣』『名古屋錦』 『享元秘説』『前宗春公御一代記』『夢能後』『由免之蹟』など。本町筋と三廓(西小路・富士見原・町遊廓)を中心に、名古屋案内を随筆体で記したもの。『三廓細見記』はこの系統に属し、特に芸能記録に詳しい。 『ゆめのあと』『貴賤夢の跡』『享保夢廼跡・宝暦屋鋪附』『浪越細見古記』『遊里夢の跡』『夢之跡』 『夢路之跡』『昔語遊女能阿戸』『三廓細見記』など。上記二種の混合体 『享保年簡集』『三廓夢乃跡』『夢の後附録享元録』『章善公異格』『逞公尾張宗春卿御事跡集録』など。 その他上記三種の一部を含む宗春時代の資料 『起廓盛衰記』『享保尾州上使留』など。
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諸本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 03:34 UTC 版)
現存する『今昔物語集』の写本は鈴鹿本の子孫である。鈴鹿本は1833年(天保4年)には「奈良人某」、1844年(天保15年)には鈴鹿連胤の所有であり、この時期に伴信友が調査して、諸本の祖本であることを指摘している。その後、鈴鹿家に伝えられ、1920年(大正9年)、鈴鹿三七の『異本今昔物語抄』という小冊子によって世に知られた。最終的に、1991年、子孫から京都大学付属図書館に寄贈され、1996年6月27日に国宝に指定された。
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諸本
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現存最古の写本は、正徹が永享三年(1431年)の3月27日および4月12日に上下二巻を書写・校合した本(正徹本・静嘉堂文庫蔵)である。現存する諸本は、通説では 正徹本系統 (伝)東常縁自筆本系統 細川幽斎本系統 烏丸光広本系統 の4種類に分類されるとされる。
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諸本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/13 08:54 UTC 版)
諸本には、35話所収の二巻本の系統(群書類従本など)とこれに29話を増補した三巻本の系統(貞享本)がある。双方の共通部分は表現字句や説話の配列においてやや異同があるものの、説話数や内容自体には違いが見られない。なお、三巻本への増補時期に関しては定説がなく、近世まで下る可能性も唱えられている。 両系統ともに伝本は多い。翻刻は『群書類従485』・『校註日本文学大系18』・『国史叢書』・『国文大観4』などに収録されるが、その多くが戦前の出版である。
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諸本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 10:05 UTC 版)
俵藤太の百足退治の説話の初出は『太平記』十五巻といわれる。しかし『俵藤太物語』の古絵巻のほうが早期に成立した可能性もあるという意見もある。御伽草子系の絵巻や版本所収の「俵藤太物語」に伝わり、説話はさらに広まった。
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