貞明皇后ら皇族の支援とは? わかりやすく解説

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貞明皇后ら皇族の支援

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/22 09:47 UTC 版)

誓の御柱」の記事における「貞明皇后ら皇族の支援」の解説

水上君の気ちがひの御柱」と噂され公務中の「狂奔」として問題視され雲行き怪しくなった建設運動は、1924年5月から皇室からの支援受けて一気進み始める。特に貞明皇后協力大きい。筧克彦の「神ながらの道」に傾倒していた皇后御柱建設に金200円を援助した。『貞明皇后実録』にいう。 二十七日 午後二時より東京帝国大学教授筧克彦古神道に関する御進講聴きたまう。なおこの御進講本日をもって終了せるにより、明治天皇より御拝領の陶花瓶一個ならびに中略〕および金員を克彦に賜いてその労をねぎらわせらる。また克彦その他の有志皇国精神作興し、五箇条の御誓文理想具現化せんがため、「誓の御柱」と呼ぶ記念碑建設せんとする聞かせられ、その資金として金二百円を併せて賜う皇后はさらに同年末の関西行啓の際に彦根から多景島眺望した。後に誓の御柱奉納された鏡も下賜している。ほか秩父宮雍仁親王以下の皇族たちも金一封出した閑院宮載仁親王誓の御柱に刻む五箇条の御誓文文言揮毫した。こうして皇族御柱建設後押しするようになってから、建設対する不満は表向き沈静化した。多景島での工事1924年11月起工した1924年3月時点出資金4万円賛同者15万人だったのが、1926年完成時には約10万円・70万人急増していた。工事請負業者で収纏金に関わってきた大林組2万余り奉仕し総工費12万円になった御柱難工事の末1926年3月9日完成し4月1日対岸彦根除幕式挙行した。除幕式には発案者水上七郎のほか、恩師筧克彦同門友人支援者二荒芳徳らが招かれた。彦根の街は花火大会競馬大会奉祝飛行ニュース映画上映遊郭芸妓出店などで祝った発案者水上完成見届けてほどなく同年8月7日死去した持病糖尿病合併症患っての死であった

※この「貞明皇后ら皇族の支援」の解説は、「誓の御柱」の解説の一部です。
「貞明皇后ら皇族の支援」を含む「誓の御柱」の記事については、「誓の御柱」の概要を参照ください。

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