とおり‐な〔とほり‐〕【通り名】
通称
通り名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 10:42 UTC 版)
「特定の敵を倒す」「特定のイベントをクリアする」などの条件を満たすことで通り名を獲得できる。一度獲得した通り名はステータス画面からいつでも変更可能。なお『R』と違い仲間キャラクターには通り名はつかない。
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通り名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 20:09 UTC 版)
小橋には昔から数々の通り名があり、小橋の成長・立ち位置の変化に伴って変わっていっている。以下、歴史順に記していく。 オレンジクラッシュ 小橋がオレンジ色のタイツを穿いていたことから名づけられた。秋山デビュー一周年の試合で繰り出した技の名前へそのまま受け継がれた。まだダイビング・ギロチン・ドロップをフィニッシュ技としていた頃である。オレンジ色はジャイアント馬場と交遊があった松山千春の発案とされる。 熱き青春の握り拳 小橋がムーンサルトを繰り出す前などに握りこぶしをつくり気合を入れていたことと、小橋のスタイルがまさしく若さ溢れる突貫ファイトであったことからこの名前がつけられた。最も長く親しまれた呼称であり、この名前が自伝「小橋健太 [青春自伝] 熱き握り拳」に採用されている。 この「青春の握り拳」をはじめとする「青春の〇〇」シリーズは『全日本プロレス中継』で実況を担当していた福澤朗が発祥で、かつ多用していた。福澤は当初プロレスに関して興味が薄く、小橋も「何がジャストミートなんだ」と思っていたという。ところが、福澤は小橋のファイトスタイルに感銘を受け、一方の小橋もプロレスを理解し造詣を深めていく福澤に人間的に惹かれていったと言う。その交流もあり、引退セレモニーに福澤も駆け付けた。ちなみに福澤が日本テレビに入社した年と小橋が全日本プロレスでデビューしたのは同じ1988年である。 熱き魂の握り拳 ベイダーを倒し第25代三冠王者に輝き念願だったチャンピオン・カーニバルで優勝した2000年を前後して、「もう30代で青春とかじゃないし」という理由で次第に「青春」から「魂」へと呼称がシフトしていった。あまり定着はしなかった。 黒小橋 2000年10月7日、ディファ有明で行われた小橋・力皇組対秋山・金丸組にてそれまでのオレンジタイツから突如として黒のタイツに履き替え入場してくると、今までとは違った非情な攻めを続け、秋山、金丸を剛腕ラリアットたった3発で失神においこんだ。そして10月11日の愛知県体育館大会、対大森戦でのシングルで見せた小橋の徹底的な攻めに大森は大流血、半失神状態に追い込まれる。それでもなお無理やり掴み起こしてラリアット等の攻撃を繰り返した。今までの小橋では考えられない非情さと、タイツを黒に変えていたことから畏怖の念を込めて称された。2003年3月1日の対三沢戦、同年11月1日の対小川戦でも上記と同様の非常な攻撃を見せ、この両試合の実況を担当した矢島学アナウンサーは「鬼小橋」と呼んでいる。 鉄人 復帰は無理と思われていた膝の手術から戻ってきたため、不屈の精神へ尊敬の念を込めてこう称された。GHC戴冠後から特に強調されだし、「鉄人小橋」と半ば枕詞と化していた。 ミスタープロレス 2003年、蝶野正洋が小橋との対決を熱望してノアの有明コロシアム大会を観戦した際、「小橋、お前はミスタープロレスだ!そして、新日本にも一人、ミスタープロレスがいる。それが俺だ!」と言い放った。2005年9月、小橋が初のアメリカ遠征に出向いた際、元祖ミスタープロレスでありミスターNWAと称されたハーリー・レイスから、「もう私はミスタープロレスではない。これからは小橋がミスタープロレス」と言われる。その後行われた試合では、NWA世界ヘビー級王座のベルトをレイスから巻いてもらった(後にそのベルトは「その名を受け継ぐには畏れ多い」という小橋の思いからレイスに返還されている)。現在WWE副社長であり元タッグパートナーのジョニー・エースからも同様の言葉を投げかけられた。このことから秋山はハーリー・レイス認定NWA世界ヘビー級王者と呼ぶこともあり、日本に存在するもう一人のミスタープロレス、天龍源一郎と区別するために「ハーリー・レイス認定ミスタープロレス」と付け加えることもある。 絶対王者 GHC戴冠後、選手権試合では必ず名勝負を繰り広げ勝ち続け、ノアのみならずプロレス界を一身で背負うその偉大な姿を指して「絶対王者」と称される。小橋を称する際の枕詞の如く使用され、まさしく絶対王者=小橋という状況であった。力皇にGHCを奪われた後は殆ど使われなくなったが、この言葉のインパクトは大きかったらしくその後も「元絶対王者」等と使われることがしばしばある。 ジャパニーズ・レジェンド 2005年より、小橋はアメリカ、欧州と海外遠征に初めて出ることになったが、ROHのニューヨーク大会に出場した際、地元紙には「Japanese Legend」の文字が載った。アメリカでもコアなファンはネットによって小橋の存在や活躍を充分知っており、会場入りする前にはノアのTシャツを着たファンに出会ったほど。試合内容も日本と同様に熱い小橋を存分に見せつけ、会場全体から「KOBASHI」コールが響いた。試合後、会場は「ARIGATO」の大コールに包まれた。 伝説の男 2005年10月2日、秋山がWRESTLE-1 GRAND PRIX 2005でボブ・サップと初対決し敗れたことから、「伝説の男が4日に帰国するから、話してみるよ」と海外遠征中だった小橋にリベンジを期待する発言をし、10月8日の後楽園大会のセミで小橋とタッグで対決する際、表に「伝説の男 vs 野獣」、裏に「アニキ あとは 頼んだぞ!」というTシャツを着て入場し、小橋にTシャツを渡した。試合後のマイクでも、「アニキ、任せました!」と発言し握手を交わす。サップ戦は実現に至らず、2006年5月13日のK-1オランダ大会でサップが試合直前に逃亡した件に関して、同月15日にK-1の谷川貞治イベントプロデューサーが行った会見にて、サップが同年4月23日に行われたノアの日本武道館大会への出場オファーを拒否し、代役として曙がタッグマッチで出場した旨が明らかになった。 チョップ小橋 2005年の佐々木健介との一騎討ちで異常なチョップ合戦を繰り広げ、以降より一層チョップが小橋のトレードマークとなっているが、秋山が2005年末のノア中継スペシャルに於いて「ノアの話題賞」を考えた際、小橋を「チョップ小橋」と命名(秋山いわく「海外のファンが小橋さんのことをそう呼んでいた」とのこと)。小橋も「それに拘りますね」と発言した。
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通り名(天の学舎-)
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「クイズマジックアカデミー」の記事における「通り名(天の学舎-)」の解説
クマフィー同様、特定の条件を満たすと、通り名が与えられ、その中から1つを選んでキャラクター情報として表示させられる。通り名の種類はクマフィーよりも多く、クマフィーと獲得条件が同等のものもある。
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通り名
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寺町通り(広島市) 舟入通り(広島市) おさん通り(広島市:江波商店街の公募により決まったもので、「おさんぎつねの像」に由来する。公募で決まった通り名として「かきうち通り」と「気象館通り」がある。)
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「通り名」の例文・使い方・用例・文例
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