運用実態
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/03/04 16:19 UTC 版)
個々のミ船団には、往路(ミリ行き)の便には奇数、復路(門司行き)の便には偶数の番号が順次割り当てられた。例えば、ミ07船団は通算7番目・往路4番目のミ船団を意味する。ただし、欠番があるため実際の運航順には合致しない。この命名方式はヒ船団や鉄鉱石専用船団であるテ船団(例:テ04船団)と共通する。 ミ船団を構成するタンカーはヒ船団に編入できない低性能船で、旧式タンカーや本来はパレンバン=シンガポール間の中積用に設計された2TM型戦時標準タンカー、応急油槽船と称した貨物船改造タンカーなどがあった。特にタンカー不足を補うための応急油槽船が、2A型戦時標準貨物船改造の2AT型だけで32-34隻も大量建造されており、うち22隻がミ船団に加入して後半の主力となっている。機関不調でヒ船団から除かれた大型タンカーも編入された。 石油船団の建前ながら、タンカー以外の軍隊輸送船など各種輸送船も護衛集約の都合でミ船団へ多数加えられた。経由地での編制替えも多く、実質的には門司=高雄、高雄=マニラ、マニラ=ミリ間の局地船団の集合体に近かった。また、ミリからシンガポールへ向かうミシ船団との接続運航など、ミ船団を軸とした船団航路が派生していた。各種輸送船が加入したこともあってミ船団の規模は日本の護送船団として最大級で、例えばミ05船団では最大で輸送船37隻・護衛艦10隻の大船団となった。全期間での1船団あたりの平均加入輸送船数は約15隻、護衛艦は平均5隻であった。 護衛を担当したのは、ヒ船団と同じ第一海上護衛隊であった。一部区間では馬公防備戦隊や第四海上護衛隊の協力も得た。特別船団と言っても護衛兵力は少なく、ヒ船団が輸送船の1/2以上の数の護衛艦を伴ったのに対して、初期のミ船団では輸送船の1/4-1/3程度の隻数と一般の輸送船団と大差なかった。質的にも特設艦船である商船改装の特設砲艦や捕鯨船改装の特設駆潜艇など雑多な寄せ集めだった。最終期のミ25船団では護衛艦全てが海防艦で構成されるなど徐々に強化された。このほか、日本の第三南遣艦隊がパラワン島とボルネオ島の間のバラバク海峡に対潜機雷を敷設しており、ミリからパラワン島と南沙諸島の間のパラワン水道を経てマニラに至る経路は敵潜水艦の侵入が困難で安全と考えられていた。もっとも、アメリカ海軍はバラバク海峡への機雷敷設にしばらく気付かなかったため、アメリカの潜水艦クレヴァルが同海峡を通過してミ02船団を襲い、既述のように日新丸を撃沈している。 ミ船団の全加入輸送船のべ377隻のうち、損失は42隻(損失率11.1%)であった。この数値は同時期のヒ船団の損失率15.7%を単純計算では下回っており、低性能な輸送船に手薄な護衛という悪条件にもかかわらず、比較的高成績である。ヒ船団に比べ重要度が低くアメリカ軍の攻撃も手薄だったことや、潜水艦の奇襲が難しい昼間沿岸の航行を徹底したことが要因と考えられる。
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