遺構など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/29 15:27 UTC 版)
広島大学旧理学部1号館(東千田町) - かつての広島文理科大学本館で東千田公園内に所在。広大のキャンパス移転による閉鎖ののち再開発の見通しが立たないまま放置されている。 広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク(千田町) - 原爆の爆風で歪んだ鉄製の窓枠と建物の一部が改築工事に際して病棟から移設され、原爆慰霊碑とともに病院前の広場に保存されている。 千田小学校小動物飼育舎(東千田町) - 被爆により鉄骨のみが残された講堂を再利用。他に建物基礎なども現状保存されている。 ふりかえりの塔(千田町) - 千田町一丁目地区の原爆慰霊碑として鷹野橋交差点南側に建立(一時移転していたが現在地に復帰した)。 御幸橋西詰め近辺の平和関連モニュメント(東千田町) - 西詰め南側の、松重美人による原爆写真を中心にした撮影地点に設置されたモニュメント(原爆被災説明板)を筆頭に、北側の「おりづるモニュメント」、「広島 ひろしま HIROSHIMA」碑などが建っている。また、旧橋の親柱・中柱の一部もこの付近に保存されている。 修道中学校・修道高等学校の敷地内に原爆死没者の慰霊碑があり、また広島城内の藩校学問所にあった土蔵が移築・保存されている(修道学問所之蔵)。 広島大学旧理学部1号館 広島赤十字病院前の被爆遺構 千田小の飼育舎 御幸橋西詰めの「原爆被災説明板」
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遺構など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/04 05:07 UTC 版)
静岡県伊豆の国市韮山(韮山反射炉)、山口県萩市(萩反射炉)に遺構が現存し、両者とも世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産となっている。 鹿児島県鹿児島市の仙巌園内に反射炉の土台のみが残る。 茨城県ひたちなか市那珂湊には1937年に復元されたものがある。 佐賀県佐賀市では、日本初の反射炉を築いた業績をたたえる「反射炉まつり」が催される。
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遺構など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/12 16:01 UTC 版)
遺構はほとんど残っていない。高尾駅跡には後年看板が建てられ、辛うじて場所を確認できる。また、蒲田津駅 - 小鹿駅間の城原川には石積みの橋脚の基礎が残されており、低水位時に見ることができる。 高尾駅跡の看板(2021年10月撮影) 高尾駅跡(2021年10月撮影) 肥筑軌道高尾駅(ひちくきどうたかおえき)あと大正末から昭和初期にかけてここを始発駅として軌道(きどう)(軽便鉄道(けいべんてつどう))が蓮池を通り千代田まで走っていました。 大正の末ごろ真崎照郷(まさきてるさと)などが発起人となり肥筑軌道株式会社が設立され、大正十二年にこの地を始発駅として営業開始して西分、東西、蓮池、千代田の崎村(さきむら)へと二両編成で営業していました。久留米まで延長される予定でしたが、第一次大戦後の不景気で倒産し昭和九年ごろ廃止されました。 — 高尾駅跡の看板より
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遺構など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 02:16 UTC 版)
遺構はほとんど残っていないが、踏切前駅 - 西唐津駅間でJR唐津線を越えるために設けられた橋の脚が残されている。
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