かない‐のぶる〔かなゐ‐〕【金井延】
金井延
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金井 延(かない のぶる、1865年2月26日〈元治2年2月1日〉 - 1933年〈昭和8年〉8月13日)は、日本の法学者・経済学者・社会政策学者。学位は、法学博士。日露戦争開戦に際し、強硬に主戦論を主張したことで知られる。戸水寛人らを含む「東大七博士」のひとり。
- ^ 花房吉太郎, 山本源太 編『日本博士全伝』,法学博士 金井延君,博文館,1892. 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『官報』第7629号、明治41年11月30日。
- ^ 『人事興信録 4版』(人事興信所、1915年)か80頁
- ^ 『人事興信録 9版』(人事興信所、1931年)か88頁
- ^ 『官報』第2545号「叙任及辞令」1891年12月22日。
- ^ 『官報』第4081号「叙任及辞令」1897年2月12日。
- ^ 『官報』第5451号「叙任及辞令」1901年9月2日。
- ^ 『官報』第6995号「叙任及辞令」1906年10月22日。
- ^ 『官報』第8544号「叙任及辞令」1911年12月12日。
- ^ 『官報』第1330号「叙任及辞令」1917年1月11日。
- ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
- ^ 『官報』第2858号・付録「辞令」1922年2月14日。
- ^ 『官報』第3559号「叙任及辞令」1924年7月4日。
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