鈴鹿プロジェクト
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1986年、大阪教育大学ケイビングクラブにより観光洞ホールである大広間の先に続くD支洞が突破されて、新空間(ドンガラガンの間)が発見された。 翌年にケイビング大会(ケイビングフェスティバル1987)を開くことが決まり、それに備えて3月末に大阪・東京の探検部らにより探検が行われた。また、多賀町から公式報告書の発行依頼があり、多賀町及び周辺地域の石灰洞の調査、特に河内風穴の新空間の測量が求められた。周辺の鈴鹿・霊仙洞窟調査も含めたこの活動は「鈴鹿プロジェクト」と称され、1987年3月28日に始まった第1回から、翌1988年3月23日までの丸1年、全11回に亘って行われた。これを契機に、大学や団体を超えた集団であるひみず会が結成された。 鈴鹿プロジェクトは以下の日程で行われた。 #調査名愛称開始日終了日参考資料1 第1回鈴鹿・霊仙洞窟調査 鈴鹿プロジェクトⅠ 1987年3月28日 1987年4月4日 2 第2回鈴鹿・霊仙洞窟調査 鈴鹿プロジェクトⅡ 1987年4月10日 1987年4月12日 3 第3回鈴鹿・霊仙洞窟調査 鈴鹿プロジェクトⅢ 1987年5月1日 1987年5月5日 4 第4回鈴鹿・霊仙洞窟調査 鈴鹿プロジェクトⅣ 1987年5月15日 1987年5月17日 5 第5回鈴鹿・霊仙洞窟調査 鈴鹿プロジェクトⅤ 1987年6月19日 1987年6月21日 6 第29回日本ケイビング大会 ケイビングフェスティバル1987 1987年7月25日 1987年7月27日 7 第6回鈴鹿・霊仙洞窟調査 鈴鹿プロジェクトⅥ 1987年7月28日 1987年8月10日 8 第7回鈴鹿・霊仙洞窟調査 鈴鹿プロジェクトⅦ 1987年9月18日 1987年9月20日 9 第8回鈴鹿・霊仙洞窟調査 鈴鹿プロジェクトⅧ 1987年10月9日 1987年10月11日 10 第9回鈴鹿・霊仙洞窟調査 鈴鹿プロジェクトⅨ 1987年10月29日 1987年11月4日 11 第10回鈴鹿・霊仙洞窟調査 鈴鹿プロジェクトⅩ 1987年12月27日 1988年1月2日 12 第11回鈴鹿・霊仙洞窟調査 鈴鹿プロジェクトⅪ 1988年3月14日 1988年3月23日 ケイビング大会までの調査では、参加した団体は京都産業大学探検部、東京農業大学農友会探検部、学習院大学探検部、早稲田大学探検部、京都市立芸術大学探検部、九州大学探検部(OB)、立命館大学探検部、関西大学探検部、大阪大学探検部ケイビングクラブおよび大阪市立大学探検部、明治大学地底研究部、追手門学院大学探検同好会、関西学院大学探検会、大阪教育大学ケイビングクラブといった大学のサークルに加え、江戸川ケイビングクラブ、パイオニアケイビングクラブ、洞穴科学調査会、(洞窟愛好会)、カマネコ探検隊、White Field Cave Explorers、神奈川中央ケイビングクラブおよび三遠洞くつ研究会といった社会人団体であり、22サークル74名に上った。第1回の活動では全洞の測量が計画されていたが、調査初日である3月29日から新空間、新支洞の発見があり、翌日にもシアターホールの発見、その翌日にもドリームホールの発見、4月4日には第一水流及び第三水流の発見があり、第2回でも第二水流が発見された。大会までの調査では、河内風穴を中心とした調査、測量活動や多賀町一帯の新洞探査、エチガ谷の水系調査などが行われた。この際発見された部分は非常に複雑で、事故はなかったが迷子騒動があった。 ケイビングフェスティバル1987は1987年7月25日-7月27日の3日間に亘り、滋賀県多賀町及び三重県藤原町(現、いなべ市)の洞穴群を対象に日本ケイビング協会と日本洞窟協会が初めて合同で開催したケイビング大会である。150人のケイバーと50人の地元の小中学生が参加した。多賀町中央公民館にて講習会や講演会のほか、河内風穴を含むこの地域の石灰洞にて巡検が行われた。実行委員は西川喜朗、市橋甫、降幡博之らおよび各大学探検部等であった。また、アサヒグラフの取材が行われ、実際に記者が河内風穴の非観光部分を体験した。 大会後の活動では、上記の団体に、秋田大学ケイビングクラブ、大阪芸術大学探検部、岡山大学ケイビングクラブ、関西外国語大学アウトドアファミリー、甲南大学探検部、駒澤大学探検部、和光大学探検部、コバンザメケイビングクラブを加え、全調査メンバーは計29団体122名となった。第6回では、14日間に亘り、河内風穴及び周辺の洞窟の測量が行われた。朝から夕方までは洞内で測量、夜はその測図の清書が行われ、河内風穴の全容が徐々に明らかになっていった。1987年9月には大阪市立大学探検部がテレビ朝日の取材協力で河内風穴に入洞した。9月以降の期間には、報告書『多賀町の石灰洞』発行のため、河内風穴水流部や支洞部の測量、周辺洞窟の洞口確認および測量、洞内記載の作成が進められた。 鈴鹿プロジェクトにより、その奥の巨大なホール、シアターホールおよびドリームホール、二次生成物に富む鐘の鳴池や森の間、地下水流である第一水流」や第二水流が発見された。GLコンパスを用いた測量により、精度の高い方位測定に基づく測量が行われた。この測量調査によって総延長 3,323 mとなった(計算ミスにより実際はこの時点で4,140 mであった)。また、この調査で上記のアサヒグラフおよびテレビ朝日に加え、週刊宝石、京都新聞、NHK、関西テレビ、読売テレビ、ABCラジオ、KBSラジオからの取材があった。
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