鈴鹿プロジェクトとは? わかりやすく解説

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鈴鹿プロジェクト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 15:06 UTC 版)

河内風穴」の記事における「鈴鹿プロジェクト」の解説

1986年大阪教育大学ケイビングクラブにより観光ホールである大広間先に続くD支洞が突破されて、新空間(ドンガラガンの間)が発見された。 翌年ケイビング大会(ケイビングフェスティバル1987)を開くことが決まり、それに備えて3月末に大阪東京探検部らにより探検が行われた。また、多賀町から公式報告書発行依頼があり、多賀町及び周辺地域石灰洞調査、特に河内風穴の新空間測量求められた。周辺鈴鹿霊仙洞窟調査含めたこの活動は「鈴鹿プロジェクト」と称され1987年3月28日始まった第1回から、翌1988年3月23日までの丸1年、全11回に亘って行われた。これを契機に、大学や団体を超えた集団であるひみず会が結成された。 鈴鹿プロジェクトは以下の日程行われた。 #調査愛称開始終了日参資料1 第1回鈴鹿霊仙洞窟調査 鈴鹿プロジェクトⅠ 1987年3月28日 1987年4月4日 2 第2回鈴鹿霊仙洞窟調査 鈴鹿プロジェクト 1987年4月10日 1987年4月12日 3 第3回鈴鹿霊仙洞窟調査 鈴鹿プロジェクト 1987年5月1日 1987年5月5日 4 第4回鈴鹿霊仙洞窟調査 鈴鹿プロジェクト 1987年5月15日 1987年5月17日 5 第5回鈴鹿霊仙洞窟調査 鈴鹿プロジェクトⅤ 1987年6月19日 1987年6月21日 6 第29回日本ケイビング大会 ケイビングフェスティバル1987 1987年7月25日 1987年7月27日 7 第6回鈴鹿霊仙洞窟調査 鈴鹿プロジェクト 1987年7月28日 1987年8月10日 8 第7回鈴鹿霊仙洞窟調査 鈴鹿プロジェクト 1987年9月18日 1987年9月20日 9 第8回鈴鹿霊仙洞窟調査 鈴鹿プロジェクトⅧ 1987年10月9日 1987年10月11日 10 第9回鈴鹿霊仙洞窟調査 鈴鹿プロジェクト 1987年10月29日 1987年11月4日 11 第10回鈴鹿霊仙洞窟調査 鈴鹿プロジェクトⅩ 1987年12月27日 1988年1月2日 12 第11回鈴鹿霊仙洞窟調査 鈴鹿プロジェクト 1988年3月14日 1988年3月23日 ケイビング大会までの調査では、参加した団体京都産業大学探検部東京農業大学農友会探検部学習院大学探検部早稲田大学探検部京都市立芸術大学探検部九州大学探検部OB)、立命館大学探検部関西大学探検部大阪大学探検部ケイビングクラブおよび大阪市立大学探検部明治大学地底研究部追手門学院大学探検同好会関西学院大学探検会、大阪教育大学ケイビングクラブといった大学サークル加え江戸川ケイビングクラブ、パイオニアケイビングクラブ、洞穴科学調査会、(洞窟愛好会)、カマネコ探検隊White Field Cave Explorers、神奈川中央ケイビングクラブおよび三遠洞くつ研究会といった社会人団体であり、22サークル74名に上った第1回活動では全洞の測量計画されていたが、調査初日である3月29日から新空間、新支洞の発見があり、翌日にもシアターホール発見、その翌日にもドリームホール発見4月4日には第一水流及び第三水流発見があり、第2回でも第二水流発見された。大会までの調査では、河内風穴中心とした調査測量活動多賀町一帯の新洞探査、エチガ谷の水系調査などが行われた。この際発見され部分は非常に複雑で、事故はなかったが迷子騒動があった。 ケイビングフェスティバル19871987年7月25日-7月27日3日間に亘り、滋賀県多賀町及び三重県藤原町(現、いなべ市)の洞穴群を対象日本ケイビング協会日本洞窟協会初め合同開催したケイビング大会である。150人のケイバー50人の地元小中学生参加した多賀町中央公民館にて講習会講演会のほか、河内風穴を含むこの地域石灰洞にて巡検が行われた。実行委員西川喜朗、市橋甫、降幡博之らおよび各大学探検部であったまた、アサヒグラフ取材が行われ、実際に記者河内風穴の非観光部分体験した大会後活動では、上記団体に、秋田大学ケイビングクラブ、大阪芸術大学探検部岡山大学ケイビングクラブ、関西外国語大学アウトドアファミリー、甲南大学探検部駒澤大学探検部和光大学探検部、コバンザメケイビングクラブを加え、全調査メンバーは計29団体122となった第6回では、14日間に亘り、河内風穴及び周辺洞窟測量が行われた。朝から夕方までは洞内測量、夜はその測図の清書が行われ、河内風穴全容徐々に明らかになっていった1987年9月には大阪市立大学探検部テレビ朝日取材協力河内風穴に入洞した。9月以降の期間には、報告書多賀町石灰洞発行のため、河内風穴水流部や支洞部の測量周辺洞窟洞口確認および測量洞内記載作成進められた。 鈴鹿プロジェクトにより、その奥の巨大なホールシアターホールおよびドリームホール二次生成物に富む鐘の鳴池やの間、地下水流である第一水流」や第二水流発見された。GLコンパス用いた測量により、精度の高い方位測定に基づく測量が行われた。この測量調査によって総延長 3,323 mとなった計算ミスにより実際はこの時点で4,140 mであった)。また、この調査上記アサヒグラフおよびテレビ朝日加え週刊宝石京都新聞NHK関西テレビ読売テレビABCラジオKBSラジオからの取材があった。

※この「鈴鹿プロジェクト」の解説は、「河内風穴」の解説の一部です。
「鈴鹿プロジェクト」を含む「河内風穴」の記事については、「河内風穴」の概要を参照ください。

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