鈴鹿御前
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鈴鹿御前(すずかごぜん)は、伊勢国と近江国の国境にある鈴鹿山[注 1]に住んでいたという伝承上の女神・天女。鈴鹿姫・鈴鹿大明神・鈴鹿権現・鈴鹿神女などとも記されている。後世には鈴鹿山の盗賊立烏帽子(たてえぼし)とも同一視され、女盗賊・鬼・天の魔焰(第六天魔王もしくは第四天魔王[注 2]の娘)とも記される。その正体は伝承や文献により様々である。
原典
注釈
- ^ 鈴鹿峠とその周辺の山地を称して鈴鹿山と呼ばれる
- ^ 口承文学であるため第六天魔王を誤って第四天魔王としたものと考えられている
- ^ 片山神社 (亀山市)境内に比定されている
- ^ 奈良と南山城の境をなす平城山を越える坂道
- ^ 奈良絵本『すずか』に「すゝかのたてゑほしは、すゝかのこんけん(権現)といはゝれて、とうかいたう(東海道)のしゆこ(守護)神となり、ゆきゝのたひ(旅)人の身にかはりてまもり給ふ」との記述がある。小林幸夫「大蛇の裔・田村将軍」(『在地伝承の世界【東日本】』三弥井書店、1999年)
- ^ 鈴鹿峠付近に、三重県指定の天然記念物「鈴鹿山の鏡岩(鏡肌)」がある。また、応永31年(1424年)の『室町殿伊勢参宮記』にも、「鈴鹿姫と申す小社の前に、人々祓などし侍るなれば、しばし立よりて、心の中の法楽ばかりに、彼たてえぼしの名石の根元もふしぎにおぼえ侍て、すずかひめおもき罪をばあらためてかたみの石も神となるめり」とある。
- ^ 田村神社 (甲賀市)とは異なる神社。現在は片山神社 (亀山市)に合祀されている
- ^ 田村の将軍の名は、物語によって俊宗・利仁・利成などとされ一定しない。
- ^ 『鈴鹿の草子』の末尾は、「しゆしやうさいと(衆生済度)の、御はうべん(方便)、なりければ、すゝかをしん(信)せん人は、かならす、しよくわん(所願)、しやうしゆ(成就)、したまふへし もしすゝか、御い(居)り候わすは、日本は、おにのせかいとなるへし、この事、よく/\、御きゝ候て、すゝかへ、御まいり、有へく候、あなかしこ/\」と締めくくられる。これは『鈴鹿の草子』のうち、鈴鹿御前の登場する後半部分が、元は鈴鹿社の縁起談であった事を示している。『耕雲紀行』に記された巫女の存在を併せると、室町期の鈴鹿の巫女による唱導が窺える。
出典
- ^ a b 『三重大史学』 第8号、山田雄司「鈴鹿峠と坂上田村麻呂」(三重大学人文学部考古学・日本史・東洋史研究室、2008年3月)
- ^ a b 阿部 2004, pp. 88–89.
- ^ a b 阿部 2004, pp. 89–91.
- ^ 坂詰力治・大村達郎・関明子・池原陽斉編『半井本 保元物語 本文・校異・訓釈編』(笠間書院、2010年)
- ^ 『公卿勅使記』(『神道大系 神宮編3』
- ^ a b c 阿部 2004, pp. 90–91.
- ^ a b 桐村 2012, pp. 117–121.
- ^ IT版『亀山市史』通史編第4章
- ^ 関 2019, pp. 99–103.
- ^ 『耕雲紀行』(『神宮参拝記大成 大神宮叢書』臨川書店、1971年)
- ^ a b c d e 阿部 2004, pp. 91–92.
- ^ 下中邦彦『三重県の地名 日本歴史地名大系24』(平凡社、1983年)「坂下村」の項。
- ^ 「九九五集」篠山資友社領寄進状写・松平清匡神領寄進状写(『三重県史』資料編近世1)
- ^ 浅井了意『東海道名所記』(富士昭雄校訂代表『東海道名所記/東海道分間絵図』国書刊行会〈叢書江戸文庫〉、2002年)
- ^ 内藤 2007, pp. 220–223.
- ^ 徳田和夫『お伽草子事典』(東京堂出版、2002年)「立烏帽子」の項。
- ^ 阿部 2004, pp. 71–72.
- ^ 「鈴鹿の草子」(『室町時代物語大成 第7』)、「田村の草子(仮題)」(『室町時代物語大成 補遺2』)
- ^ 「田村の草子」(『室町時代物語大成 第9』)
- ^ 阿部 2004, p. 9.
- ^ 『田村三代記』(『仙台叢書 第12巻』)
- ^ 阿部 2004, p. 293.
- ^ 阿部 2004, p. 297.
- ^ 阿部 2004, p. 28.
- ^ 阿部 2004, pp. 30–33.
- ^ 阿部 2004, pp. 34–35.
- ^ 阿部 2004, p. 36.
- ^ 大川吉崇『鈴鹿山系の伝承と歴史』(新人物往来社、1979年)
- ^ 阿部 2004, pp. 80–82.
- ^ 阿部 2004, pp. 82–88.
- ^ a b c 阿部 2004, pp. 26–27.
- ^ a b c 阿部 2004, pp. 293–295.
- ^ a b 阿部 2004, p. 249.
- ^ 佐々木喜善『佐々木喜善全集 III』(遠野市立博物館、1992年)222頁。
- ^ 阿部 2004, pp. 116–117.
- ^ 「小野のふるさと」(『菅江真澄全集 1』未来社、1976年)
- ^ 桐村 2012, pp. 12–16.
- ^ a b 宝暦7年(1757年)刊「祇園会細記」(真弓常忠編『祇園信仰事典』戎光祥出版、2002年)
- ^ “鈴鹿山”. 祇園祭山鉾連合会. 2018年8月31日閲覧。
鈴鹿御前
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鈴鹿御前(すずかごぜん)
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奥州の鬼・悪路王の妻であり、後に坂上田村麻呂の妻となった鈴鹿御前本人(生まれ変わりではない)。人間としての名前は小山内鈴香(おさない すずか)。経緯は不明だが、人間の生活を愛したために鬼としての記憶を封印し、女子高生として生活を送っていた。復活を目論む悪路王に家族を殺され、その名を用いた呪詛によって操られるが、鬼切丸に斬られたことで呪詛から解き放たれると同時に記憶を取り戻す。鬼の絶対加護を持ち、鬼であるならば雑鬼は勿論、悪路王にすら傷付けることはできない。影の中には強力な使鬼が、髪の影には小さな雑鬼どもが控えている。妖力を使い、鈴鹿最強の武器として大通連(だいつうれん)と呼ばれる日本刀を出すことが出来、それを武器として使う。少年と違って本来は角も爪も牙もあるが、基本的に人の姿を取っており、記憶を取り戻した直後にしか見られない。
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鈴鹿御前(すずかごぜん)
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「鬼切丸 (漫画)」の記事における「鈴鹿御前(すずかごぜん)」の解説
奥州の鬼・悪路王の妻であり、後に坂上田村麻呂の妻となった鈴鹿御前本人(生まれ変わりではない)。人間としての名前は小山内鈴香(おさない すずか)。経緯は不明だが、人間の生活を愛したために鬼としての記憶を封印し、女子高生として生活を送っていた。復活を目論む悪路王に家族を殺され、その名を用いた呪詛によって操られるが、鬼切丸に斬られたことで呪詛から解き放たれると同時に記憶を取り戻す。鬼の絶対加護を持ち、鬼であるならば雑鬼は勿論、悪路王にすら傷付けることはできない。影の中には強力な使鬼が、髪の影には小さな雑鬼どもが控えている。妖力を使い、鈴鹿最強の武器として大通連(だいつうれん)と呼ばれる日本刀を出すことが出来、それを武器として使う。少年と違って本来は角も爪も牙もあるが、基本的に人の姿を取っており、記憶を取り戻した直後にしか見られない。
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