関係社
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岩崎の元里宮(駒形神社)鎮座地:岩手県北上市和賀町岩崎18-25(位置) 祭神:保食神 水沢本社の新設までは里宮であったが、現在は本社との関係は絶たれている。古くは煤孫にあったが、のちに和賀に移されたという。
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関係社は次の4社。 名島神社(なじまじんじゃ) - 祭神:宗像神。福岡市東区の名島に鎮座。 大神神社(おおみわじんじゃ) - 祭神:大物主神。福岡市東区上和白に鎮座。 川上神社 - 祭神:豊姫命。糟屋郡新宮町原上に鎮座。 綿津見神社(龍王社) - 祭神:綿津見神。福岡市東区三苫に鎮座。
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大朝神社 鎮座地:沼津市下香貫山宮前3056-2(北緯35度04分25.83秒 東経138度51分52.74秒 / 北緯35.0738417度 東経138.8646500度 / 35.0738417; 138.8646500 (関係社:大朝神社(山宮か))) 祭神:大日孁命(おおひるめのみこと) 社格:式内社「大朝神社」論社、旧村社 例祭:1月16日 「おおあさじんじゃ」。楊原神社から南西に約1.5km、海に面した牛臥山の南麓に鎮座する。楊原神社とは祭祀の母体・内容とも共有しており、一体の存在と考えられている。古くは楊原神社との間には浅瀬が広がっていたと想定され、当社は海に浮かぶ小島に祀られた山宮であったと考えられている。なお式内社「大朝神社」の比定社は、当社ではなく大宮神社(伊豆市上白岩)が有力視される。 楊原神社 鎮座地:三島市北田町4-7(北緯35度7分4.80秒 東経138度55分5.84秒 / 北緯35.1180000度 東経138.9182889度 / 35.1180000; 138.9182889 (関係社:楊原神社(国府の遥拝所か))) 祭神:事代主命、大山祇命 社格:神階帳「従一位 やきわらの明神」か、伊豆国三宮か 「やなぎはらじんじゃ」。三嶋大社元摂社。三島にあった国府から沼津の楊原神社を遥拝するための拝所と推測する説があり、神階帳の記載は当社を指すともいわれる。別説に、沼津の元社の地が駿河国に編入されたことにより中島に遷祀、のち同所に徳川家光が御殿を営むにあたって現在の三島市北田町に遷座したという。例祭は7月5日。
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現在の摂末社は上記の摂社節・末社節で挙げた境内社7社であるが、古くは境内・境外に多くの摂末社を抱えていた(詳細は摂末社の変遷参照)。特に、式内社の摂末社には富知神社と倭文神社があった。 また浅間大社に関係する神として、『駿河国神名帳』には「浅間御子明神」の名で、第一御子明神から第十八御子明神までの記載がある。このうち第三御子神・第七御子神は本宮境内に摂社として祀られている。境外では若之宮浅間神社に第一御子神が、二之宮浅間神社に第二御子神が本宮北方に祀られているほか、米之宮浅間神社には第八御子神・第十八御子神を祀るという説があり、それぞれ古くは浅間大社の摂社であった。なお、その他の御子神の所在は明らかとなっていない。 富知神社(北緯35度13分52.50秒 東経138度36分23.68秒 / 北緯35.2312500度 東経138.6065778度 / 35.2312500; 138.6065778 (式内社論社、元摂社:富知神社(大宮の地主神を祀る)))式内社論社、元摂社。大宮の地主神を祀る。 若之宮浅間神社(北緯35度13分46.91秒 東経138度36分55.99秒 / 北緯35.2296972度 東経138.6155528度 / 35.2296972; 138.6155528 (元摂社:若之宮浅間神社(浅間第一御子神を祀る)))元摂社。浅間第一御子神を祀る。 二之宮浅間神社(北緯35度13分50.22秒 東経138度36分36.60秒 / 北緯35.2306167度 東経138.6101667度 / 35.2306167; 138.6101667 (元摂社:二之宮浅間神社(浅間第二御子神を祀る)))元摂社。浅間第二御子神を祀る。 米之宮浅間神社(北緯35度09分42.09秒 東経138度39分25.11秒 / 北緯35.1616917度 東経138.6569750度 / 35.1616917; 138.6569750 (元摂社:米之宮浅間神社(一説に浅間第八御子神・浅間第十八御子神を祀る)))元摂社。一説に浅間第八御子神・浅間第十八御子神を祀るという。 倭文神社(北緯35度12分11.63秒 東経138度36分39.98秒 / 北緯35.2032306度 東経138.6111056度 / 35.2032306; 138.6111056 (式内社、元摂社:倭文神社))式内社、元摂社。 村山浅間神社(北緯35度15分41.18秒 東経138度39分58.12秒 / 北緯35.2614389度 東経138.6661444度 / 35.2614389; 138.6661444 (元摂社:村山浅間神社))元摂社。
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関係社
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関係社一覧 節内の全座標を示した地図 - OSM節内の全座標を出力 - KML 表示 常宮神社 鎮座地:敦賀市常宮(北緯35度41分25.36秒 東経136度1分46.63秒 / 北緯35.6903778度 東経136.0296194度 / 35.6903778; 136.0296194 (常宮神社(元奥宮))) 祭神:天八百萬比咩命、神功皇后、仲哀天皇、日本武命、応神天皇、玉姫命、武内宿禰命 社格:式内社「天八百万比咩神社」論社、越前国内神名帳「従二位 天八百万比咩大明神」論社、旧県社 「じょうぐうじんじゃ」。神宮の元境外摂社・元奥宮。古くから神宮と関係が深く、神宮とは「本宮・摂社」「口宮・奥宮」「ひもろぎの宮・鏡の宮」「上社・下社」などと一対でも称されたという。明治10年(1877年)に内務省によって常宮神社境内社の天国津彦神社・天国津姫神社・天鈴神社・伊覩神社(いずれも式内社)とともに神宮の境外摂社に定められたが、その後いずれも神宮からは独立した。 現在も7月22日の「総参祭」では神宮の神々・神官が船に乗って常宮神社に神幸するが、これは一説に気比神(陽神)が常宮神(陰神)を訪れる神事であるともいう。そのほか、文献には多くの記述が見える。詳しくは「常宮神社」を参照。 大椋神社 鎮座地:敦賀市大蔵2-25-2(北緯35度39分7.47秒 東経136度5分32.73秒 / 北緯35.6520750度 東経136.0924250度 / 35.6520750; 136.0924250 (大椋神社(東方鎮守社))) 祭神:天手力雄命 社格:式内社「大椋神社」、越前国内神名帳「正二位 大椋大明神」、旧村社 「おおくらじんじゃ」。神宮の東方鎮守社。『日本三代実録』で元慶4年(880年)に従四位上から正四位下に昇叙されたと見える「大宰神」に比定される。鎮座地の地名「大蔵」は、かつて神宮の大蔵があったことに因むという。境内では鎌倉時代の13世紀後半頃の経塚が発見されており、出土品(経筒など)は「大椋神社経塚出土品」として敦賀市指定有形文化財に指定。 劔神社 鎮座地:敦賀市莇生野47-16(北緯35度37分38.02秒 東経136度2分28.34秒 / 北緯35.6272278度 東経136.0412056度 / 35.6272278; 136.0412056 (劔神社(西方鎮守社))) 祭神:比咩大神(配祀に応神天皇) 社格:式内社「剣神社」論社、越前国内神名帳「正二位 剣大明神」論社、旧村社 「つるぎじんじゃ」。神宮の西方鎮守社。 志比前神社 鎮座地:敦賀市道ノ口榊林2(北緯35度37分34.74秒 東経136度4分37.40秒 / 北緯35.6263167度 東経136.0770556度 / 35.6263167; 136.0770556 (志比前神社(南方鎮守社))) 祭神:経津主命 社格:式内社「志比前神社」、越前国内神名帳「正二位 椎前大明神」、旧村社 「しいざきじんじゃ」。「椎前神社」「志比神社」とも。神宮の南方鎮守社。『新抄格勅符抄』大同元年牒に見える「椎前神 三戸」や、『日本三代実録』で元慶4年(880年)に従四位上勲六等から正四位下勲六等に昇叙されたと見える「推前神」に比定する説がある。経津主命を祭神とするため、「香取大明神」とも称されたという。 神宮の北方鎮守社は天筒山山麓にあった道後神社(式内社「大神下前神社」に比定)で、現在は「大神下前神社」として神宮境内に鎮座する。 なお、気比の松原付近の別宮神社(敦賀市)について、元は氣比神宮の別宮であったとする説がある。同神社付近では松原客館(渤海使滞在用施設)の所在も推定されており、神社前の松原遺跡では和同開珎・小鏡・銅鈴、緑釉・須恵器片が出土しているが、確定には至っていない。 常宮神社(常宮)元奥宮・元摂社。 大椋神社(大蔵)神宮の東方鎮守社。 劔神社(莇生野)神宮の西方鎮守社。 志比前神社(道口)神宮の南方鎮守社。 別宮神社(櫛川)一説に氣比神宮の別宮。
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