雨嫌い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 02:25 UTC 版)
プロストは雨のレースを極端に苦手としている、と評されることが多い。雨を嫌うようになったのは、後述するディディエ・ピローニとの事故(1982年)が契機となっている。本人によるとピローニの事故に遭遇するまでは、雨の方が得意だった。また、滑ることが問題なのでは無く、前車の水煙が前方視界を奪ってしまうリスクを恐れている、と語っている。それを証明するように1984年モナコGPでは雨のなか優勝、1988年イギリスGPでは豪雨の中、良いところなく自主的にピットインしリタイヤしたが、次のドイツGPでは視界に影響しない程度のウエット・コンディションであったため、セナに次ぐ2位でフィニッシュしている。1989年の最終戦オーストラリアGPではあまりにも激しい雨だったため、他のドライバーに出走を取りやめるようスターティンググリッド上を一台一台歩いて回り働きかけを行い、強行された2回目のスタート後もプロストだけがマシンに乗らなかった。バーニー・エクレストンがスタートだけでもしてほしいと説得したが、「レーサーはそのテクニックで給料をもらってるんだ。こんな洪水の中で技量なんか関係ないじゃないか」と怒りをぶつけ意思を曲げなかった。その他、雨だった1991年サンマリノGPや1993年ブラジルGP、ヨーロッパGP、日本GPで勝利を逃している。 1982年の西ドイツGP(ホッケンハイムリンク)、第1日目フリー走行は視界が極端に悪い霧雨の中で行われたが、スタジアムセクション手前のストレートでスローダウンした前車をプロストが追い抜いたところ、後ろからアタック中だったピローニがこれを視認できず、ピローニ車の前輪がプロスト車の後輪に乗り上げる事故が発生。ピローニ車はプロスト車を飛び越えて前方の路面に叩きつけられ、ピローニは両足を切断寸前の複雑骨折を負い、レーサー生命を絶たれるという惨事に発展してしまう。プロストに過失は一切なかったが、事故直後に目の当たりにした親友ピローニの惨状が、その後の人生において大きなトラウマとなった。 2012年の「F1速報PLUS」Vol.28において、「1980年のF1第14戦ワトキンズ・グレン(決勝は欠場した)で予選日にクラッシュした際に強く頭部を打ち、右目の視力が低下してしまった」ということが発覚している。とくに雨で日照がなく薄暗いコンディションでは前がよく見えなかったという。現役時代のプロストはこの症状を抱えていた事を公表していなかった。 このほか、サーキットコースの好みでは、「デトロイト市街地コースは嫌い」と発言したことがある。
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