電気鉄道の発明とは? わかりやすく解説

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電気鉄道の発明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 01:45 UTC 版)

鉄道車両の歴史」の記事における「電気鉄道の発明」の解説

電力によって鉄道車両走らせる電気鉄道技術古くから実験されてきており、一番古いものでは1834年アメリカデボンポート (Devonport) が走行実験行ったという記録がある。電池車体搭載して走らせたのであるが、初期電池振動弱かったため実用性乏しかった電気鉄道大きな特徴である、線路側に給電設備設けてそこから集電して電気車走行する仕組みは、1850年アメリカでホール (Hall) が初め実験している。これは電池地上において給電していたものであった電動機運転中に偶然発電機見出されるのは1864年のことである。 ドイツヴェルナー・フォン・ジーメンスは、シーメンス・ハルスケ社 (Siemens Halske) を設立し1879年ベルリン貿易博覧会会場において電気機関車により3両の客車を牽いて300 m線路の運転を行った電圧直流150 Vで第三軌条による給電であった。さらに1881年にはベルリン郊外のリヒターフェルデ (Lichterfelde) で約2.5 km世界初実用電気鉄道路線開業させた。直流100 V第三軌条方式であった続いてアメリカフランク・スプレイグはばねの力を利用して架線から集電するトロリーポール1880年発明し、これを利用して1888年バージニア州リッチモンド直流500 Vのシステム用いたリッチモンド・ユニオン旅客鉄道 (Richmond Union Passenger Railway) を敷設した。これは世界で最初の成功した路面電車システムとなり、世界中で続々同様の路面電車敷設されていくきっかけとなった。またスプレイグ電気鉄道の総括制御仕組み発明し1人運転士操作で何両も連結され車両モーター一斉に制御することを可能にし、電車長大編成連結運転できるようになった。 こうして電気鉄道歴史は低い電圧直流電化により始まった蒸気機関車運転されてきたロンドン地下鉄は、この時期電化されている。しかし電圧が低いままで都市内鉄道レベル留まり都市間の鉄道への発展難しかった。このことからドイツスイス中心に交流電化技術開発始められた。 まずは、比較構造簡単な交流電動機使用できる三相交流電化技術開発されスイスブラウン・ボベリ社(Brown Boveri、後のアセア・ブラウン・ボベリ)が三相交流による電気機関車1899年製作して実験行った続いてドイツシーメンスAEG合同三相交流による高速試験行い1903年10月28日に210.2 km/h達成している。これはまだ飛行機を手にしていない人類にとって、この世で最も速く移動できる乗り物であったライト兄弟ライトフライヤー号初飛行をするのはこの年12月17日のことであるが、速度50 km/h満たないものであった三相交流のために複数架線を張らなければならないという問題から、三相交流電化技術シンプロントンネルなど限られた場所に用いられただけで、より高い電圧直流電化単相交流電化へ向かうことになった。 低い電圧に留まってい直流電化電圧上げて、2,400 V電化実現したのはDanplinois鉄道で、1903年のことであった。それに引き続き第一次世界大戦期アメリカで2,400Vや3,000Vの電化路線次々建設された。この時期弱め界磁制御高速度遮断器カルダン駆動方式などが開発されている。イギリスでもランカシャー・アンド・ヨークシャー鉄道で3,600 Vの実験が行われたが成功せず実用化されたのは1,200 V方式であった。またサザン鉄道での大規模な電化では750 Vと比較的低い電圧用いられた。 スイスエリコン社は1907年にゼーバッハ - ヴェッティンゲン間で単相交流50 Hz 15,000 Vの単相交流電化技術開発した。これにシーメンス社からの協力経てレーゲンスドルフ - ヴェッティンゲン間で、現在も用いられているようなカテナリ架線パンタグラフ組み合わせ用いられるようになった当初商用交流そのまま送電して電動発電機直流変換して駆動していたが、163分の2 Hz低周波交流電化により整流子形の直流電動機駆動する技術開発された。第一次世界大戦による石炭高騰列車大幅運休にまで追い込まれスイスでは、国防上の理由もあって電化積極的に進めることになり、スイス国鉄1945年まで全線この方式で電化された。このほかにドイツオーストリアノルウェーなどでこの方式の電化広く用いられている。 一方商用交流そのまま用い技術開発が行われ、まずハンガリー技術者カンドー・カールマーン主導して1923年1933年の2回実験行っている。これは50 Hz 15,000 Vで送電し、機関車内の回転変流機三相交流変換して駆動するものであったうまくいかなかった。1935年にはドイツのヘレンタール線での研究が行われ、50 Hz 20,000Vで送電し、車内では回転変流機三相交流により交流電動機駆動するもの、整流器により直流電動機駆動するもの、そのまま整流子直流電動機駆動するものの比較試験が行われ、整流器式が有望であると分かったドイツ商用交流による電化技術は、第二次世界大戦後フランスにより接収されてそこで50 Hz 単相25 kV電化として実用化された。この時期スコット結線変圧器水銀整流器なども開発されている こうして幹線網の電化用い技術開発され大型電気機関車投入されてくる一方で、主にアメリカにおいて路面電車から発展して都市間を高速電気鉄道で結ぶようにした鉄道網19世紀末頃から発達しインターアーバン呼ばれている。インターアーバンでは、停車駅の数を増やし短い編成列車頻繁に運転することで従来鉄道対抗しようとした。アメリカでは自動車普及するにつれて第一次世界大戦後には急速に衰退していったが、インターアーバン技術と思想日本大きな影響もたらし関東関西中心に私鉄路線網張り巡らせて、現代電車王国を築くひとつのきっかけとなった

※この「電気鉄道の発明」の解説は、「鉄道車両の歴史」の解説の一部です。
「電気鉄道の発明」を含む「鉄道車両の歴史」の記事については、「鉄道車両の歴史」の概要を参照ください。

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