韓国の消滅した姓氏
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韓国の消滅した姓氏とは、文献には記録があるが、現在まで継承されていない姓氏を言う。
出典
- ^ a b c d e f g 朝鮮総督府 『朝鮮の姓』(1934), p.72
- ^ a b c d e f g 金容権 『増補改訂 韓国姓名辞典』(2007), p.226
- ^ a b c d 金鎮宇 『韓国人の歴史』(2010), p.244
- ^ a b c d 杜若甫 『中国少数民族姓氏』(2011), p.409
- ^ 朝鮮総督府 『朝鮮の姓』(1934), p.56
- ^ 『韓国人の姓氏と族譜』(2008), p.739
- ^ a b 李睟光の『芝峯類説』では、「星州に㸴氏があるのだが、音は小(ソ)である。おおよそ方言で牛を呼ぶ時の声という。『東国史』に石末天衢という人がいるのだが、石末2字が訛伝せられて㸴字となったものでないかという」とある。
- ^ 出典:『芝峯類説』, 『畵永篇下』, 『吏讀便覽』, 『五洲衍文長箋散稿』 。
- ^ 「「I 離島の変転する歴史」建国神話」『韓国済州島』中央公論社〈中公新書〉、1996年。ISBN 4121013263。
- ^ 『韓国人の姓氏と族譜』(2008), p.746
- ^ 『韓国人の姓氏と族譜』(2008), p.745
- ^ a b 代表:パク・サンマン(대표 박상만) (2017年6月10日). “[스크랩] 해동역사 제31권 [관씨지(官氏志) 2]” [[スクラップ]海東歴史第31巻[官氏志]] (朝鮮語). SJG energy. 2019年3月8日閲覧。
注釈
- ^ 崔豹の『古今注』に、「『箜篌引』は、朝鮮の渡し守であった霍里子高の妻である麗玉が作ったものである。子高が朝起きて船に棹さしていたところ、白髪の狂人が一人、髪を振り乱し徳利をぶら下げて渦巻く流れを渡ろうとし、その妻が追いすがって止めようとするが及ばす、河に落ちて死んでしまった。そこで箜篌を抱えて歌って曰く『公 河を渡る無かれ。公 竟(つい)に河を渡る。河に堕ちて死す。将(は)た公を奈何(いかん)せん!』と。その声は甚だしく悽愴であった。曲が終わると彼女もまた河に身を投げて死んだ。子高は帰ると、それを麗玉に話した。麗玉はそれを傷み、自分の箜篌を引き寄せて、その声を真似た。それを聴くもので、涙を落としながら忍び泣きしないものはなかった。麗玉はその曲を隣の娘の麗容に伝え、名付けて『箜篌引』と言う」とある。北宋の郭茂倩(かくもせん)による楽府の総集『楽府詩集』にも引用されて有名な説話である。原文: 崔豹 (中国語), 『古今注』「巻三」音楽 第三, ウィキソースより閲覧。
- ^ a b 本貫が単一であるという意味。本は本貫を数える単位(助数詞)でもある。
- ^ 本貫を数える単位(助数詞)でもある。
- ^ “K'sBookshelf 辞典・用語 漢字林(非部首部別) 鳥部”. K'sBookshelf. 2019年3月8日閲覧。
- ^ 大韓帝国時代(1897年 - 1910年)のこと。
[続きの解説]
「韓国の消滅した姓氏」の続きの解説一覧
- 1 韓国の消滅した姓氏とは
- 2 韓国の消滅した姓氏の概要
- 3 脚注
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