須坂小唄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 23:52 UTC 版)
『須坂小唄』は、作詞 野口雨情・作曲 中山晋平である。長野県上高井郡須坂町(現・須坂市)は、製糸業の盛んな地域であった。「山丸組」の創始者である越寿三郎の三男で工場長の越栄蔵と工場総括担当でもあった小田切亀松が、女工たちが歌う品の悪い唄を辞めさせるため、工場歌を作ることを企画した。そこで、女工が仕事中に歌う工場歌を小布施小学校の桜井教諭に相談し、日野の出身(現中野市)に頼んだ。須坂町に訪れた野口と中山は、唄づくりの結論が出ないまま帰途に着いた。その時、雨情が手記に残した「ちょいと出たお月」が後に手を加えられ「須坂小唄」となった。その後、野口・中山は、工場歌ではなく須坂をテーマにした新民謡として1923年(大正12年)に帝国ホテルで発表した。その後、東京での出来事は須坂に伝わり女工たちに広がった。
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