須坂藩
須坂藩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 09:18 UTC 版)
堀直政の五男(一説には四男)・堀直重は、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで東軍に与して軍功を挙げたことにより、下総矢作に2000石と信濃須坂に6000石の所領を与えられた。慶長19年(1614年)からの大坂の陣でも徳川方として参戦し、功績を挙げて高井郡内に4000石加増された。この加増年に関しては、元和元年(1615年)説と元和2年(1616年)説がある。当初は1万2000石で立藩したが、第2代堀直升は下総国矢作2000石のうち、1000石を次弟の堀直昭に、三弟と末弟にそれぞれ500石を分知したため、須坂藩は1万石となった。
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