顧雍
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顧 雍(こ よう)は、中国後漢末期から三国時代の政治家。字は元歎。揚州呉郡呉県(現在の蘇州市)の人。曾祖父は顧奉(潁川太守。『呉録』による)。祖父と父の名は不明。同母弟は顧徽。妻は陸康の娘。子は顧邵・顧裕(顧穆)・顧済。孫は顧譚・顧承・顧栄。『三国志』呉志に伝がある。
- ^ 『三国志』呉志「呉主伝」によると、赤烏6年冬11月に死去。
- ^ 『江表伝』によると、孫権は中書郎の役人を顧雍の元へ派遣し、いろいろな事柄について意見を求めた。孫権の意向が顧雍の意見と合致し、すぐ実施してもよい場合、顧雍は中書郎の者とともに討議した上で、さらに深く検討を加え、中書郎の者に対しても酒食を用意して持て成すということをした。一方で、孫権の意向が顧雍の意見と合致しない場合、顧雍が顔つきを改めて厳しい顔をし、黙して何も語らず、何の振る舞いも用意しなかったため、中書郎の者もすぐに退室することにした。孫権は顧雍の意向を重んじ、何も語らなかったときは改めて考え直すことにしていたという。また、長江沿岸を守備する諸将が、よく巧名目的で軍事作戦を提案してくることがあったため、孫権が顧雍に意見を求めると、顧雍は諸将が自身の手柄目的で提案してくるようなことには耳を貸さずに、真に効果的と思える策のみを採り上げるようにと忠告した。孫権もこれに従ったという。
- ^ 名臣20選には、荀彧、荀攸、袁渙、崔琰、徐邈、陳羣、夏侯玄、王経、陳泰(以上魏)、諸葛亮、龐統、蔣琬、黄権(以上蜀)、周瑜、張昭、魯粛、諸葛瑾、陸遜、顧雍、虞翻(以上呉)を選出している
- ^ 顧雍は「元歎穆遠 神和形檢 如彼白珪 質無塵玷 立上以恒 匡上以漸 清不增潔 濁不加染」と謳われている
顧雍(こ よう、字・元歎)
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「蒼天航路」の記事における「顧雍(こ よう、字・元歎)」の解説
孫権軍の幕僚。目が細く好々爺然としている。物語後半では張昭と共にいることが多い。
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