食堂車2419D
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/26 06:58 UTC 版)
大戦中に徴用された車両のうち、最も有名なものが食堂車2419D, 別名「休戦の客車」(Wagon de l'Armistice) である。この車両はフランス西部の路線で使われていたが、フランス陸軍に徴用され、1918年10月からはフェルディナン・フォッシュ西部連合軍総司令官の司令部として用いられた。 1918年11月11日、オワーズ県のコンピエーニュの森に停車した2419Dの車内で、連合国とドイツの休戦協定が調印された。 戦後、客車は博物館で保存されていたが、第二次世界大戦でドイツがフランスに侵攻すると、アドルフ・ヒトラーの命令により2419Dは博物館から引き出され、コンピエーニュの森の1918年と全く同じ場所に置かれ、1940年6月22日に車内でドイツとフランスの休戦協定が調印された。 その後車両はドイツへ送られ、第二次大戦末期に破壊された。
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