6次産業化とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 日本語表現辞典 > 6次産業化の意味・解説 

6次産業化


6次産業

(6次産業化 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/03 05:24 UTC 版)

6次産業(ろくじさんぎょう)とは、農業や水産業などの第一次産業が食品加工・流通販売にも業務展開している経営形態を表す。農業経済学者の今村奈良臣が提唱[1]した造語。また、このような経営の多角化を6次産業化と呼ぶ[2]。ちなみに、6次産業という名称は、農業本来の第一次産業だけでなく、他の第二次・第三次産業を取り込むことから、第一次産業の1と第二次産業の2、第三次産業の3を足し算すると「6」になることをもじった造語[1]であり、6番目という意味ではない。

概要

農業・漁業は第一次産業に分類され、農畜産物、水産物の生産を行うものとされている。

だが、6次産業は、農畜産物、水産物の生産だけでなく、食品加工(第二次産業)、流通販売第三次産業)にも農業従事者が総合的に関わることによって、加工賃や流通マージンなど第二次・第三次産業の事業者が得ていた[売上・利益]を、農業者自身が得ることによって農業経営体の所得を向上させようというものである。

第二次産業・第三次産業が得ていた[売上・利益]に[付加価値]を付けて、農業のブランド化、消費者への直接販売、レストランの経営などを推奨している。

第一次産業に付加価値をつけて高度化を目指すという観点では、1.5次産業化に類似しているが、6次産業は加工、流通を複合化させるという視点がより、明確である。

「農業経営体の経営の多角化をする。」をキーワードとして推奨されている。

ただ、農業所得の低迷を農業従事者のみで解消させようとする、政策放棄とも呼ばれている。

脚注

  1. ^ a b 今村 奈良臣. “新しい農業への模索、第六次産業の創造を21世紀農業を花形産業にしよう、一、二、三次産業を足したもの”. 二十一世紀村づくり塾. 2009年2月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年3月12日閲覧。
  2. ^ 農林. “農業の6次産業化”. 2010年2月10日閲覧。

関連項目

外部リンク


6次産業化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 14:43 UTC 版)

広島かき」の記事における「6次産業化」の解説

広島カキ早くから他地域移植されていた。伊予松山藩に入封した松平定行殖産興業として、寛文3年1663年広島からカキ70俵を購入し松山領内海辺巻いたという。貞享年間(1684-1688年)には磐城移植して松川蠣”として名産品となった広島カキの6次産業化、つまり生産者運営かき船による産地直販江戸期から始まっている。 「かき船」も参照 延宝年間1673年-1681年ひび建養殖法開発した草津村小西五郎八と志を同じくする草津村の5人は、船で瀬戸内海沿岸の港にカキ売っていき、大阪への販路構築していた。元禄元年1688年村役人河面松屋仁右衛門尽力により草津村カキ養殖業者は、三次藩から草津沖の使用許可大阪市場でのかき船営業免許受けた元禄2年1689年草津業者株仲間結成、更に宝永5年1708年草津業者大坂町奉行からも独占販売特権を得ることができた。一方仁保仁保島村)では、正徳年間1711年-1716年かき船出ていた記録残り寛保3年1743年株仲間結成されている。草津独占得ていた中で仁保食い込めたのは、江戸初期草津支藩である三次藩支配していたのに対し仁保は本藩である広島藩支配していたこと、そして草津ではカキ不足した時に仁保から買ってかき船運営していたため、草津側が黙認していたと考えられている。江戸期はこの草津村仁保島村株仲間独占していた。草津の方が販売上の特権多く株仲間以外の規制厳しかったのに対し仁保草津より販売上の権利少なかった株仲間以外の参加許していたため、仁保近辺である海田周辺カキの養殖従事する者が増えた各地区で競って養殖技術開発していたと推測されている。生産量増えたことで京都へさらに各地へと販路拡大する計画立てていた。九州にもかき船出していたという話もある。 かき船では殻付きのまま大阪運び当初現地むき身にする実演販売の形で売られていた。冷蔵技術のなかった当時殻付きカキを俵に詰めて潮水含ませてからかき船積み込んで運搬しており、俵詰め輸送に耐えられる丈夫な大ぶりカキとして仁保3年生カキ考え出された。寛政11年1799年大阪塩屋長兵衛刊行した日本山海名産図会』で紹介されている。 畿内食するもの皆芸州広島産なり。最も名品なりとす。播州紀州泉州等に出すものは大にして自然生なり。味佳ならず。又武州参州尾州にも出せり。広島蓄養して大阪売るもの三年ものなり故に其の過不及論なし。 — 日本山海名産図会文化2年1805年大田南畝紀行文小春紀行』の中に西国街道四日市宿島家現在の白牡丹酒造)に泊まり海田で採れたカキ調理したものを肴に島家の酒を呑んだことが書かれている江戸後期広島育ち京都中心に活躍した儒学者頼山陽はこう賞賛した。 天上天下牡蠣独尊 — 頼山陽、 そしてその中で様々なカキ料理考え出された。越中高岡長光寺住職であった東林書いた紀行文『泛登無隠』の中に天保3年1832年大阪常安橋たもとにあったかき船で8品食べたことが記載されている。現在、広島市郷土資料館において希望者にレシピ書かれパンフレット配布している。 カキのそそぎ鍋風 カキ土手焼き カキのからまむし カキ胡麻油炒めガキ カキひね生姜カキ吸物 カキ飯 こうしたカキ販売盛況刺激されて、明治以降株仲間廃止され販売自由化されると、他でもかき船出て瀬戸内広く行われるようになり、大正時代全盛期迎えたかき船近代以降様々な営業形態経て、現在もわずかながら存続している。 広島「かなわ」。2017年現在広島市内で唯一のかき船。 呉「かき船」。2017年現在広島県内ではかなわとかき船2つのみ。 広島ひろしま」。2017年3月撤去後続店舗は現在開店していない。かき船#広島市かき船移転問題参照大阪「かき広」。大阪市唯一のかき船大阪吉兆」。かき船陸に上がって料亭になった例。

※この「6次産業化」の解説は、「広島かき」の解説の一部です。
「6次産業化」を含む「広島かき」の記事については、「広島かき」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「6次産業化」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「6次産業化」の関連用語

6次産業化のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



6次産業化のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
実用日本語表現辞典実用日本語表現辞典
Copyright © 2024実用日本語表現辞典 All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの6次産業 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの広島かき (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS