1030年代
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1030年代(せんさんじゅうねんだい)は、西暦(ユリウス暦)1030年から1039年までの10年間を指す十年紀。
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1030年代
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詳細は「1030年代」を参照 1030年 -神聖ローマ皇帝コンラート2世がシュパイアー大聖堂の建設を命じる。 アザーズの戦いで東ローマ帝国がミルダース朝に敗北。 1031年コルドバのカリフであるヒシャーム3世(英語版)が廃位により追放され、後ウマイヤ朝滅亡。 サラゴサ王国・トレド王国・セビリア王国などのムスリム系群小国家(タイファ)が乱立する。 東ローマ帝国の将軍ゲオルギオス・マニアケス(英語版)がエデッサをミルダース朝の領主から奪還。 1032年チベット系タングート族の西平王李徳明の死により李元昊が後を継ぐ。 ブルグント王家が断絶し、神聖ローマ皇帝コンラート2世がブルグントを併合。神聖ローマ皇帝は中世ドイツの王・イタリア王・ブルグント王を兼任することになる。 1032年頃シーア派系民兵組織がシリアのハッラーンを襲いこの地のサービア教徒共同体が壊滅し離散する。 1033年北宋で皇帝仁宗の郭皇后が廃され、これをめぐり論争が起こる(慶暦の党議)。新たに曹皇后を冊立。 1035年ナバラ王サンチョ3世(大王)死去。遺領配分からナバラ・カスティーリャ・アラゴン各王国が分裂する。 北海帝国のクヌート大王死去。マグヌス1世がノルウェー王として独立し北海帝国が崩壊する。 1036年後一条天皇が崩御し、後朱雀天皇が即位。 西平王李元昊が北宋から粛州・瓜州・沙州を奪う。同年に西夏文字を制定させる。 1037年 - クディリのアイルランガ王が東部ジャワ再統一を完成し、カマラギャンに遷都。 1038年ベーメン公ブレチスラフ1世によりポーランドの都グニェズノとポズナニが略奪される。ポーランド公カジミェシュ1世が都をグニェズノからクラクフに移動する。 東ローマ帝国将軍ゲオルギオス・マニアケスによるシチリア島東部の再征服。 トルコ人トゥグリル・ベクがニーシャープールの戦いでガズナ朝に大勝し、セルジューク朝を興す。 カイラワーンのイブン・ヤーシーンに共鳴した信徒がセネガル川流域で宗教団体ムラービトゥーンを結成。 西平王李元昊が帝号(景宗)を名乗り、西夏が建国される。 1039年北宋で「皇宋通宝」が鋳造される(これは日本で発見された埋蔵渡来銭で最も量が多いもの)。
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