1780年代
1780年代
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詳細は「1780年代」を参照 1780年閑院宮師仁親王が、第119代光格天皇として即位。 オーストリアのマリア・テレジア死去。 ロシアのエカチェリーナ2世の提唱で武装中立同盟が結成される( - 1783年)。 ロンドンで反カトリック派によるゴードン暴動(英語版)が発生。 第四次英蘭戦争( - 1784年)。 ナポリ王国のカゼルタ宮殿が完成する(1752年 - )。 イラン北西部タブリーズの大地震。 インドのヴァーラーナシー(ベナレス)のカーシー・ヴィシュヴァナート寺院が、アヒリヤー・バーイー・ホールカルによって再建される。 殺人罪で投獄されていた平賀源内が獄死。 植民地ペルーにおけるトゥパク・アマルー2世の反乱。 1781年神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世の農奴解放令と宗教寛容令(ヨーゼフ主義)。 イマヌエル・カントの『純粋理性批判』が刊行される。 世界初の鋳鉄製アーチ橋のアイアンブリッジが完成する。 ウィリアム・ハーシェルが天王星を発見。 清で乾隆帝の命による四庫全書完成する(1741年- )。 1782年天明の大飢饉( - 1787年)。 幕府が印旛沼・手賀沼の干拓に着手。 タイ王国でチャクリー朝が成立しラーマ1世が即位。 1783年パリ条約でイギリスがアメリカの独立を承認。 モンゴルフィエ兄弟により熱気球による史上初の有人飛行が行われる。 アイスランドでラキ火山とグリムスヴォトン火山が連続して噴火。 浅間山の天明大噴火。 1784年江戸城中で若年寄田沼意知が佐野政言により殺害される。 筑前国福岡藩領内の志賀島にて「漢委奴国王印」が発見される。 イギリス首相ウィリアム・ピットがインド法を制定し、インド庁(英語版)を設置。 カロン・ド・ボーマルシェの「フィガロの結婚」が上演される。 黒海沿岸のロシア領オデッサが開港する。 グリゴリー・シェリホフがコディアック島のスリー・セインツ湾にアラスカ最初のロシア人植民地を形成。 1785年マリー・アントワネットの首飾り事件。 ジョン・ウォルターが世界最古の日刊新聞『タイムズ(ロンドン・タイムズ)』を創刊。 ロシア女帝エカチェリーナ2世による「貴族への特許状(恵与状)」が発布される。 山口鉄五郎ら幕府の蝦夷地調査団が派遣される。 1786年英仏通商条約(イーデン条約(英語版))でイギリス製品がフランスに流れ込む。 ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテのイタリア旅行( - 1788年)。 トスカーナ大公レオポルド1世がヨーロッパで最初の死刑完全廃止を行う。 台湾で林爽文事件。 将軍徳川家治死去、老中田沼意次が辞任させられる。 最上徳内らが国後島・択捉島・得撫島を調査。 1787年フィラデルフィアの憲法制定議会において、アメリカ合衆国憲法が制定される。 北西部条例によりアメリカ合衆国がオハイオ領土を統治することが決定される。 徳川家斉が江戸幕府第11代将軍となる。江戸や大阪で天明の打ちこわしが最高潮に達する。京都で御所千度参りが起こる。 松平定信が老中首座になり寛政の改革に着手( - 1793年)。 ピニョー・ド・ベーヌが阮福暎の息子阮福景を伴いフランスに帰国。ルイ16世と会見しフランスとベトナムの攻守同盟(ヴェルサイユ条約)を締結。 1788年オーストラリアが流刑植民地とされ、イギリス人の移民が始まる。 フランスの探検家ラ・ペルーズ伯が南太平洋で消息不明となる。 第一次ロシア・スウェーデン戦争(- 1790年)。 清・ネパール戦争( - 1792年)。 京都で天明の大火。 1789年フランス革命( - 1794年)。革命時代を1789年 - 1799年とする説もある。フランス革命の年表も参照のこと。 三部会の召集、球戯場の誓い、バスティーユ牢獄襲撃、国民議会の創設、 封建制の廃止(八月四日の夜)、人権宣言、ヴェルサイユ行進、国王と議会のパリ移動。 リエージュ革命、ブラバント革命。 ジェレミ・ベンサム『道徳および立法の諸原理序説』が刊行される。 ジョージ・ワシントンが初代アメリカ大統領に選出される( - 1797年)。 ドンダーの戦いで、阮恵率いる西山朝がベトナム黎朝と清朝の連合軍を撃破。昭統帝が清に亡命し、黎朝滅亡(1428年 - )。 尊号一件。棄捐令。 寛政蝦夷の乱(クナシリ・メナシの戦い)。 バウンティ号の反乱。
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1780年代
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1781年日付不詳 - バーデン大公国の建築家カール・フリードリヒ・メールヴァインが人力オーニソプターで飛行を試みる。 1783年11月21日 - モンゴルフィエ兄弟の熱気球に、ビラトール・ド・ロジェとフランソワ・ダルランドが搭乗して初の有人飛行に成功。 12月1日 - ジャック・シャルルと助手のロベールが水素気球で有人飛行に成功。 12月26日 - フランスの発明家、ルイ=セバスチャン・ルノルマンが塔から、枠組みのある4mほどのパラシュートでジャンプを行った。 1784年6月6日 - フランス人のジャン=ピエール・ブランシャールがスペインで最初の気球飛行を試みるが、上昇中に気球が壊れ、ブランシャールは負傷した。 8月24日 - イギリスのジェームズ・タイトラーが熱気球での飛行に成功した。 9月19日 -ロベール兄弟が乗った、ジャック・シャルルとジャン=バティスト・ムーニエの設計した気球"La Caroline"がパリからバーヴリーまでの6時間40分で186kmの飛行を行い、バーヴリーに着陸した。史上初めて100kmを越える飛行であった。 日付不詳 - フランスにおける気球の飛行実験が科学アカデミーの気球委員会を中心となって審査して許可を行うようになった。 日付不詳 - フランスのジャン=バティスト・ムーニエが科学アカデミーに、84mの長さの楕円形の気嚢にボート型のゴンドラを吊るして80人の人力で駆動するプロペラで推進する飛行船の計画を提案するが実行には移されなかった。 1785年1月19日 - ダブリン近郊でアイルランドのリチャード・クロスビーが水素気球で飛行を行った。 1月 - ジャン=ピエール・ブランシャールとジョン・ジェフリーズが水素気球により、初のドーヴァー海峡横断飛行。 日付不詳 - アイルランドのタラモアの町に水素気球が墜落して火災がおき130軒の家が燃える惨事が起きた。 日付不詳 - 浮田幸吉が滑空飛行に成功したとされる。 1786年6月18日 - フランスのピエール・テステュ=ブリシが最初の夜間の気球飛行を行った。 1787年日付不詳 - 琉球の花火師、飛び安里がオーニソプターで飛んだと伝えられる。 1788年日付不詳 - 櫟斎老人が平賀源内の生涯をつづった『 平賀実記』に平賀源内が長崎でオランダ人から軽気球を買い取り、江戸へ持ち帰ったという記述がされた。
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