19世紀 - 20世紀前半
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「ビデオディスク」の記事における「19世紀 - 20世紀前半」の解説
1892年3月3日、フランスの発明家ジョルジュ・デムニー(英語版)は、「フォノスコープ」の特許を取得した。これは1891年に設計され、クロノフォトグラフィー(英語版)写真をガラスディスクに投影するものである 。 1893年、イギリスの写真家エドワード・マイブリッジは、クロノフォトグラフィーのアニメーションをガラスディスクに投影しズープラクシスコープ(英語版)で再生する発明を行った。なおこの発明がきっかけで、エジソンをして映画を発明させる事に繋がった。 1898年、ニューヨークを拠点とするカメラメーカー、E & HT アンソニー(英語版) が「The Spiral」と呼ばれる映画カメラとプロジェクターを組み合わせたものを発売した。これは200個のイメージを直径8インチのガラスディスク板に記録でき、毎秒16フレームで再生時には13秒の動画像を再生できる。 1907年、セオドア・ブラウン(英語版)が1200個のイメージを直径10インチのガラスディスク板に記録でき、毎秒16フレームで再生時には1分15秒程度の動画像を再生できるシステムを発明した(英国特許GB190714493)。毎秒16フレームで再生した場合、ディスクは約1分15秒ほど再生可能。このシステムはチャールズ・アーバン(英語版)により「Urban Spirograph」として発売されたが普及しなかった。 1930年初頭、スコットランドのジョン・ロジー・ベアードが Phonovision システムを開発、1秒間に約4フレームを再生できたが普及しなかった。
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19世紀・20世紀前半
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「小惑星番号」の記事における「19世紀・20世紀前半」の解説
(1) ケレスから (4) ベスタまでは1801年から1807年にかけて発見されたが、当時は小惑星がこれほど多数あるとは考えられておらず、従来の惑星と同様に扱われていた。1845年に (5) アストラエアが発見され、その後も毎年のように新しい「惑星」が発見されると、次第にそれらを惑星とは区別して扱うようになっていく。小惑星に番号を付けるようになったのは1850年代中頃からであり、19世紀中に発見された小惑星は概ね発見された順に番号が登録されている(発見が公表されるまでの時間差のためか、数日から数週間ほど逆転していることもある)。 発見された年・月小惑星番号1850年11月 13 1860年9月 62 1870年9月 112 1880年9月 219 1890年11月 302 1900年10月 463 1892年に(現在のシステムとは違うが)仮符号が導入され、20世紀に入ってから発見されたものについては登録番号が発見された順番に対して次第にランダムになっていく。 1935年に発行された資料には401番から720番までの小惑星の一覧が掲載されているが、この年までに発見された小惑星は(まだ仮符号だけだった物を含めれば)既に1,000個を越えている。
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