1900 -1910年代
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「ラ・リューシュ」の記事における「1900 -1910年代」の解説
ラ・リューシュはもともと1900年のパリ万国博覧会の際にギュスターヴ・エッフェル (1832-1923) がヴォージラール屠殺場(フランス語版)(1978年から1985年にかけて廃止・解体され、跡地にジョルジュ・ブラッサンス公園が造られた) の近くにボルドー・ワイン館として設計したものだが、1902年に彫刻家アルフレッド・ブーシェがこれを買い取り、周囲にアトリエを増築し(計140室)、欧州各国からやってきた貧しい画家や彫刻家らに提供した。 上記の約140室のアトリエ兼住宅、中央大広間の作品展示室「ラ・リューシュ展」、デッサン室「アカデミー」、約300席の「リューシュ・デ・ザール」劇場のほか、周囲には花壇に囲まれた庭があった。現在、劇場は解体され、部屋は約60室である。1910年代には上記の主に東欧系のユダヤ人芸術家がフランスに移住し、ここを拠点とした。「彼らには共通点があった。現在のベラルーシの出身であるシャガールやイタリア人のモディリアーニのように、諸外国からやってきた彼らの多くはフランス語が堪能ではなく、家賃が低い集合アトリエで助け合いながら、ゆるやかなコミュニティーを形成していた。ユダヤ人比率が高いことも特徴のひとつなのだが、…彼らは自分たちの民族的血統に複雑な思いを抱いていた」。
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