昭和28年 (みずのとみ 癸巳)
年(年号) | |
●1936年 (昭和11年) | ■二・二六事件 |
●1941年 (昭和16年) | ■対英米宣戦布告 |
●1945年 (昭和20年) | ■ポツダム宣言受諾 |
●1946年 (昭和21年) | ■日本国憲法公布 |
●1951年 (昭和26年) | ■サンフランシスコ講和条約 |
●1953年 (昭和28年) | ■テレビ放送開始 |
●1956年 (昭和31年) | ■国際連合加盟 |
●1960年 (昭和35年) | ■東京タワー完成 |
●1960年 (昭和35年) | ■日米新安保条約調印 |
●1964年 (昭和39年) | ■東京オリンピック |
●1968年 (昭和43年) | ■GNP世界第2位に |
●1970年 (昭和45年) | ■大阪で万国博覧会 |
●1971年 (昭和46年) | ■環境庁設置 |
●1973年 (昭和48年) | ■第1次オイルショック |
1953年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/11 21:55 UTC 版)
1953年(1953 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、木曜日から始まる平年。昭和28年。
- ^ 『21世紀スポーツ大事典』 大修館書店、2015年、764頁
- ^ “French beauty new Miss Universe”. The Day. Associated Press. (1953年7月18日) 2018年11月13日閲覧。
- ^ 「伊東絹子誕生記 ファッション・モデルはどこへ行く!」『サンデー毎日』第32巻第41号、毎日新聞社、1953年9月6日、4頁、ISSN 0039-5234、全国書誌番号:00009588。
- ^ 瀬岡和子「昭和30年代におけるスーパーマーケットの誕生と「主婦の店」運動 ─吉田日出男と中内㓛を中心にして─」『社会科学』第44巻第1号、同志社大学人文科学研究所、2014年、2021年8月17日閲覧。p.2
- ^ “ポール・アレン氏が死去 米マイクロソフト創業者、65歳” (2018年10月16日). 2020年10月25日閲覧。
- ^ 「元横綱2代目若乃花の下山勝則さん死去、69歳 78年56代横綱に昇進 照ノ富士入門時の師匠」『日刊スポーツ』、2022年7月18日。2022年7月18日閲覧。
- ^ 北の湖理事長が死去、62歳 直腸がん多臓器不全 優勝24回で一時代 スポニチアネックス 2015年11月20日20時28分
- ^ “【訃報】落語家の桂伸乃介さん死去”. 日テレNEWS24 (2020年1月3日). 2020年10月29日閲覧。
- ^ “プロフィール”. Toru's Home . 2020年11月6日閲覧。
- ^ 元大洋 プロ野球からプロゴルフ 藤池昇龍氏が死去 日刊スポーツ 2017年2月20日
- ^ “訃報 永射保さん63歳=元プロ野球投手”. 毎日新聞. (2017年6月24日) 2020年12月18日閲覧。
- ^ “永射保さん死去 “左殺し”先駆者、あのヒット曲のモデルに”. 日刊スポーツ. (2017年6月25日) 2020年11月14日閲覧。
- ^ ジャック・フィニィ『盗まれた街』早川書房、2007年、8,19,144,166-170,223,224,251-262,289,294-304,310-319頁。ISBN 978-4-15-011636-1。
- ^ チャールズ・ストロス『残虐行為記録保管所』早川書房 、2007年、30,31,118-120頁。ISBN 978-4-15-208880-2。
1953年(昭和28年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 14:26 UTC 版)
「高松市の歴史」の記事における「1953年(昭和28年)」の解説
高松市立旭ヶ丘病院が開院する。 五番丁交差点に初の信号機設置される。 栗林公園が特別名勝に指定される。 この頃から入浜式塩田が流下式に移行される。 内場ダムが完成する。 第8回国民体育大会の副開会式
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1953年(昭和28年)
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「日米野球」の記事における「1953年(昭和28年)」の解説
この年は同時期に毎日新聞社がエディ・ロパットを団長としたMLB選抜を、読売新聞社がニューヨーク・ジャイアンツを招聘するという、慌ただしい日程で開催された。その後、両社は協議を行い、今後は交互にアメリカチームを招聘する協定が結ばれた。
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1953年(昭和28年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 04:12 UTC 版)
テレビ本放送開始。奄美群島が本土復帰。韓国に竹島が占拠される。
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1953年(昭和28年)
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魚肉ハム・ソーセージ発売、養殖事業を開始。中部兼市社長死去。兼市の弟・中部謙吉が社長に就任。
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1953年(昭和28年)
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「日本におけるアメリカ軍機事故の一覧」の記事における「1953年(昭和28年)」の解説
1月26日 - 静岡県の御殿場で小型連絡機が墜落し2名死亡。 2月13日 - 大分飛行場を離陸したSA16型機が門司烏山の山中に墜落し乗員7名が死亡。 2月27日 - 気象観測のため飛行していたB-29爆撃機から全乗員7名が埼玉県所沢市付近の上空でパラシュートで脱出し機体を放棄。無人のB-29爆撃機はそのまま相模湾まで迷走飛行したのちに伊豆大島から約25キロメートルほど離れた海上に墜落。 3月17日 - 北海道夕張市滝ノ上上空でF-84戦闘機2機が接触して墜落し2名死亡。 6月18日 - 立川基地を離陸したC-124輸送機が墜落し、乗員と搭乗者129名全員が死亡、地上の住民1名が負傷した。詳細は「立川基地グローブマスター機墜落事故」を参照 6月23日 - 芦屋飛行場を離陸した双胴輸送機が山口県の角島の西約28キロメートルの海に墜落し、乗組員7名が行方不明となった。 7月27日 - 長崎県の対馬に小型ジェット機が墜落。乗員1名はパラシュートで脱出し海に降下したところを漁船に救助された。 7月29日 - 日本海でB-50爆撃機が墜落。米軍は墜落地点の海域を捜索したが、搭乗員16名は行方不明のまま7月31日10時に捜索を打ち切った。 8月13日 - 神奈川県鎌倉市沖約3キロメートルの海上に双発機が墜落。乗員1名は無事で漁船に救助された。 8月14日 - 静岡県田方郡函南村(現函南町)丹那の玄岳に単発機が激突し乗員1名死亡。 8月17日 - 千歳基地を離陸したジェット機が北海道苫小牧市沖約9キロメートルの海に墜落し1名死亡。 8月24日 - 沖縄から横田基地へ向かう途中のB-29爆撃機がエンジン故障により飛行できなくなり、神奈川県津久井郡内郷村(現相模原市)の上空で全乗員13名のうち9名が飛行機を放棄してパラシュートで脱出し、内郷村に無事降下した。残り4名のうち3名もその後にパラシュートで脱出して同郡青野原村(現相模原市)に降下して生還したが、1名が行方不明となった。その後、B-29爆撃機は東京都西多摩郡檜原村藤原白岩にある犬掛山の山腹に墜落して大破炎上した。 8月26日 - 板付空港(現福岡空港)を離陸したF-80戦闘機2機が空中で接触し、博多湾外の地ノ島付近に2機とも墜落し1名死亡。 8月27日 - 東京都と埼玉県の都県境付近を飛行していたB-29爆撃機で火災事故が発生し、全乗員7名が飛行機を放棄してパラシュートで飛び降りた。このうち4名は埼玉県所沢市に無事に降下。飛行機は無人のまま飛び続け相模湾へ出たのち伊豆大島の近くに墜落した。 9月4日 - 木更津基地を離陸したF-86戦闘機5機が悪天候により燃料切れとなり全機墜落。 11月1日 - 北海道千歳郡千歳町(現千歳市)で連絡機が墜落。乗員1名重傷。 11月26日 - 岩国基地から美保基地へ飛んでいたC-46輸送機が日本海に墜落。乗員30名は全員助かった。 12月19日 - 小牧飛行場で火災を起こしたB-29爆撃機が炎上したまま不時着し大破。2名死亡。
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1953年(昭和28年)
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「中原淳一」の記事における「1953年(昭和28年)」の解説
3月、『それいゆ』臨時増刊として「ジュニア号」を発行。8月、『ジュニアそれいゆ 夏の号』(創刊準備号)が刊行される。
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1953年(昭和28年)
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「1946年-1960年の国鉄ダイヤ改正」の記事における「1953年(昭和28年)」の解説
この年は3月15日にまず東京以西各路線でダイヤ改正が行われ、戦後の山陽本線初、かつ、全国で3番目の特別急行列車である「かもめ」が、京都 - 博多で運行を開始するなどの変化があった。 続く4月5日には東京以北で若干の列車増発が行われ、11月11日には再び東京以西の時刻が改正された。これにより、東京始発の列車では、急行「月光」、「伊勢」、さらには地方準急列車として「しなの」、「南紀」といった列車が新設されている。準急列車が地方線区の主役になりつつあった。
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「1953年」の例文・使い方・用例・文例
- 1953年東京本社
- 1953年に創設され1979年に2つの省に分割された、かつての行政府の長
- 英国の作家(フランス生まれ)で、特に子供のための詩で知られる(1870年−1953年)
- 英国の政治家で、1997年に首相になった(1953年生まれ)
- 米国のテニス選手で、全米、全英、全仏、全豪の選手権を同じ年(1953年)に制した最初の女性(1934年−1969年)
- 英国の生化学者で、(1953年にワトソンと共に)DNAの螺旋形の構造を発見を手助けした(1916年−2004年)
- フランスの画家で、明るい色彩の風景で知られる(1877年−1953年)
- アイルランド人の愛国者で、シンフェーン党の創設者(1865年−1953年)
- 1953年の彼のシェルパ族ガイド・テンジン・ノルゲイと最初にエベレスト山の頂上に到達したニュージーランド登山家(1919年生まれ)
- 米国の天文学者で、星雲の後退速度がそれらの観察者からの距離で増加する(宇宙が拡大している)ということを発見した(1889年−1953年)
- ドイツの建築家で、1937年にパレスチナに移住した(1887年−1953年)
- 米国の精神科医で、トピーカに彼の息子と共に有名な精神科診療所を設立した(1862年−1953年)
- 米国の物理学者で、電子を分離させその電荷を測定した(1868年−1953年)
- 米国の劇作家(1888年−1953年)
- ロシアのバレエ、交響曲、オペラの作曲家(1891年−1953年)
- ポーランド征服とアルデンヌ反攻を指揮した第二次世界大戦中ドイツの陸軍元帥(1875年−1953年)
- ロシアのリーダーで、共産党の代表としてレーニンの後を継いで、反対派すべてを一掃することによって全体主義国家をつくった(1879年−1953年)
- ウェールズの詩人(1914年−1953年)
- 米国のテニス選手で、1920年代に男子テニス界に君臨した(1893年−1953年)
- 米国の法律専門家で、最高裁判所の長官を勤めた(1890年−1953年)
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