昭和30年 (きのとひつじ 乙未)
年(年号) | |
●1936年 (昭和11年) | ■二・二六事件 |
●1941年 (昭和16年) | ■対英米宣戦布告 |
●1945年 (昭和20年) | ■ポツダム宣言受諾 |
●1946年 (昭和21年) | ■日本国憲法公布 |
●1951年 (昭和26年) | ■サンフランシスコ講和条約 |
●1953年 (昭和28年) | ■テレビ放送開始 |
●1956年 (昭和31年) | ■国際連合加盟 |
●1960年 (昭和35年) | ■東京タワー完成 |
●1960年 (昭和35年) | ■日米新安保条約調印 |
●1964年 (昭和39年) | ■東京オリンピック |
●1968年 (昭和43年) | ■GNP世界第2位に |
●1970年 (昭和45年) | ■大阪で万国博覧会 |
●1971年 (昭和46年) | ■環境庁設置 |
●1973年 (昭和48年) | ■第1次オイルショック |
1955年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/10 02:12 UTC 版)
1955年(1955 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、土曜日から始まる平年。昭和30年。
- 1 1955年とは
- 2 1955年の概要
1955年(昭和30年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 14:26 UTC 版)
「高松市の歴史」の記事における「1955年(昭和30年)」の解説
香川県漆芸研究所が設置される。 彫漆の音丸耕堂が重要無形文化財保持者(いわゆる人間国宝)となる。 高松・大阪間の航空路が開設される。 玉藻公園の開園式が行われる。 宇高連絡船「紫雲丸事故」が発生する。 高松・伊予三島間にディーゼルカーが走る。
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1955年(昭和30年)
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空梅雨で梅雨期間の降水量が少なく、梅雨明けも全国的に早かった。太平洋高気圧が北へ張り出しやすかった影響で7月は特に北日本、東日本で顕著な高温となり北日本では1978年と並ぶ記録的に暑い7月になった。8月以降は東日本以西ではやや涼しくなったが、北日本では引き続き平年よりも暑かった。なお、この年の猛暑は1954年春から1956年冬にかけて発生したラニーニャ現象が一因とみられる。
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1955年(昭和30年)
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「日米野球」の記事における「1955年(昭和30年)」の解説
1953年までワールドシリーズ5連覇を達成したニューヨーク・ヤンキースが来日。ミッキー・マントル、ヨギ・ベラ、ホワイティー・フォードなど主力の殆どが顔を揃えたヤンキースに日本勢は全く歯が立たず、0勝15敗1分と惨敗した。
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1955年(昭和30年)
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自由党と日本民主党が合同して自由民主党、右派と左派が合併した日本社会党の成立(55年体制、保守合同・社会党再統一)。神武景気。原子力基本法成立。紫雲丸事故。トヨタ・クラウン発売開始。
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1955年(昭和30年)
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1955年(昭和30年)
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「日本におけるアメリカ軍機事故の一覧」の記事における「1955年(昭和30年)」の解説
1月6日 - 茨城県東茨城郡で厚木飛行場から飛び立ったジェット機が空中爆発し、落下した破片で中学生1名死亡。パイロットは脱出し無事だった。 1月6日 - 羽田空港近くの東京湾上空で横田基地を飛び立ったF-86戦闘機とT-33練習機が空中衝突し火の玉になって墜落。2名死亡。 1月14日 - 美保基地を飛び立った無人機が鳥取県の大篠津駅に墜落。駅にいた1名が重傷。 1月24日 - 茨城県行方郡玉造町(現行方市)の霞ヶ浦にジェット機が墜落。 1月24日 - 北海道勇払郡穂別村(現むかわ町)にジェット機2機が墜落。うち1機のパイロットはパラシュートで脱出し無事だったが、もう1機のパイロット1名は死亡した。 1月31日 - 福岡県糟屋郡志賀町(現福岡市東区)沖の海上に405S型ヘリコプターが墜落し乗員3名死亡。 2月20日 - 京都府熊野郡久美浜町(現京丹後市)沖約4キロメートルの日本海にF2F双発ジェット機が墜落し3名死亡。 3月1日 - 福岡県遠賀郡芦屋町の沖約33キロメートルの海上にC-119輸送機が墜落し、乗員7名のうち4名は漁船に救助されたが3名が死亡。 3月4日 - ジョンソン基地を離陸しようとしたジェット機が離陸に失敗し、滑走路から約1.5キロメートル離れた畑に墜落。乗員2名死亡。 3月24日 - ジョンソン基地を離陸したF-94B戦闘機が埼玉県入間郡名細村(現川越市)の民家に墜落して炎上。住民2名が死亡し5名が負傷、乗員2名も死亡した。詳細は「埼玉県名細村米軍機墜落事故」を参照 5月24日 - 長野県南佐久郡川上村の金峰山に米軍機が墜落しているのが発見された。この機体は錆びていたことから、かなり以前に墜落したものと思われた。 5月25日 - 宮城県仙台市の沖にH-19ヘリコプターが墜落し乗員6名死亡。 6月17日 - 小牧飛行場に着陸しようとした千歳基地所属のF-86戦闘機が送電線に接触して墜落、民家3戸が全半壊し少年1人が死亡、重傷1人、軽傷4人を出した。乗員1人も死亡した。 6月23日 - 神奈川県横浜市港北区の上空でF-100戦闘機2機が接触し、そのうちの1機が墜落。乗員は無事だった。 6月25日 - ジョンソン基地を飛び立ったF-86戦闘機が羽田沖で行方不明。 6月26日 - 東京湾にジェット機が墜落した[要出典]。 6月26日 - 伊豆七島方面で海兵隊のジェット機が墜落。乗員2名はゴムボートで漂流し無線で救助を求めた。これに対して米軍や海上保安庁が大規模な捜索を行ったがゴムボートは発見できなかった。 6月28日 - 2日前に墜落した米軍機を捜索していた1名乗りジェット機と4名乗りヘリコプターが行方不明となった。 9月12日 - 木更津基地を離陸しようとしたジェット練習機がエンジン故障で離陸に失敗し墜落。乗員2名は無事だった。 9月19日 - 横田基地を離陸したF-80練習機が東京都八王子市神戸に墜落。住民5名と乗員1名が死亡。詳細は「八王子市F80機墜落事故」を参照 9月29日 - 横浜市保土ケ谷区今井町に厚木基地所属のジェット戦闘機が墜落し乗員1名が死亡。 10月9日 - 東京都南多摩郡日野町(現日野市)に立川基地を離陸したB-26爆撃機が墜落炎上し乗組員2名が死亡。詳細は「日野町B26爆撃機墜落事故」を参照 10月21日 - 三沢基地を離陸しようとしたB-47爆撃機が離陸に失敗し大破炎上。乗員4名のうち1名が死亡。 12月15日 - 神奈川県小田原市国府津沖約6キロメートルの相模湾にジェット機が墜落し乗員1名が行方不明となった。
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1955年(昭和30年)
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「1946年-1960年の国鉄ダイヤ改正」の記事における「1955年(昭和30年)」の解説
3月19日、関西本線で、日本初の気動車を使用した準急列車(キハ10系使用)が名古屋 - 湊町(現、JR難波駅)に新規設定され、後に「かすが」と命名される。 しかしこの年は大規模なダイヤ改正は実施されず、6月1日に北海道総局で小規模なそれが行われたにとどまっている。制度面では7月1日に利用率の低かった一等寝台車が廃止され、二等寝台車に統合された。
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「1955年」の例文・使い方・用例・文例
- 私は1955年5月5日に生まれた。
- 1955年にL・ロン・ハバードによって設立され、自覚と精神的な満足感を通して自身の過去のつらい経験を取り除く人の精神力に対する信念に特徴づけられる新興宗教
- 1955年に産業別労働組合会議と合併した北米の労働組合の連盟
- 1955年にアメリカ労働総同盟と合併したした北米の産業別労働組合の連邦
- ウォルトディズニーによって1955年につくられたアナハイムの遊園地
- 米国の小説家(1909年−1955年)
- 米国の教育者で、アフリカ系アメリカ人のために人種関係と教育機会を改善するために働いた(1875年−1955年)
- 米国の教育者で、友人を獲得し人々に影響する方法についての本を書いた(1888年−1955年)
- 米国のコントラクトブリッジの大家で、彼の本がゲームを大衆化するのに役立った(1891年−1955年)
- 米国の映画俳優で、むら気な反抗的な役割が彼を熱狂者にした(1931年−1955年)
- ルーマニアのバイオリン奏者で作曲家(1881年−1955年)
- スコットランドの細菌学者で、ペニシリンを発見した(1881年−1955年)
- 米国のコンピュータ企業家で、ソフトウェア会社により米国史で最も若い超億万長者になった(1955年生まれ)
- スイス人の作曲家(フランス生まれ)で、エリック・サティ、ダリユス・ミヨー、フランシス・プーランク、およびジャン・コクトーを含むパリのグループの創立会員(1892年−1955年)
- 米国の外交官で、国連を創設するのに主要な役割を果たした(1871年−1955年)
- ソ連の体操選手(1955年生まれ)
- ドイツの作家で、ブルジョア階級における芸術家の役割に関して書いた(1875年−1955年)
- オーストラリア人のゴルファー(1955年生まれ)
- スペインの哲学者で、知的なエリートによりリーダーシップを主唱した(1883年−1955年)
- 米国のサックス奏者で、ジャズのボップスタイルの代表者(1920年−1955年)
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