20世紀美術と「セント・アイヴス派」
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「テート・セント・アイヴス」の記事における「20世紀美術と「セント・アイヴス派」」の解説
セント・アイブスはイギリスのほかの地方より陽光が明るくて温暖で、19世紀には鉄道が延びてリゾートとして開け始めた。このころセント・アイヴスには美術学校もでき美術家が集まり始めている。 1920年、陶芸家バーナード・リーチは濱田庄司とともに日本からイギリスへ移り、セント・アイヴスに日本式の登窯「リーチ・ポタリー」を開設した。リーチと濱田は、東洋の陶磁器に影響を受けた作品制作や、スリップウェアなど工業化以前のイギリス民間陶器の再発見をしたが、これはセント・アイヴスと国際的な20世紀美術との最初のつながりになった。 1928年、アルフレッド・ウォリス、ベン・ニコルソン、クリストファー・ウッドという三人の芸術家が話し合い、コーンウォール北海岸のリゾート、セント・アイヴスに芸術家のコロニーを作りはじめた。 1939年の第二次世界大戦勃発とともに、ベン・ニコルソンとその妻で彫刻家のバーバラ・ヘップワースがこの地に居を構え、ナチスの迫害から逃れイギリスに逃げてきたナウム・ガボも友人である彼らの後を追って移転してきた。彼らによって、ロンドンから遠く離れたコーンウォールの西端に、国際的なモダニズム芸術や前衛芸術、抽象芸術のイギリスにおける前哨が確立した。戦後、ナウム・ガボはアメリカに渡ったが、新しい世代の芸術家が多く移ってくる。ピーター・ラニョン、ジョン・ウェルズ、ロジャー・ヒルトン、ブライアン・ウィンター、パトリック・ヘロン、テリー・フロスト、ウィルヘルミナ・バーンズ=グレアムといった人々であり、大西洋の対岸のアメリカで起こった抽象表現主義と交流しながら抽象絵画の運動をおこしていった。こうしたセント・アイヴス派の抽象画は、国際的・普遍的なモダニズムを標榜する一方、コーンウォールの水平線や陽光、荒涼とした丘などのイメージや風土性も反映している。 バーバラ・ヘップワースのアトリエと彫刻作品を置いた庭園は現在公開され、テートによって管理運営されている。テート・セント・アイヴスはイギリス美術の中心地であったこの地にかかわった画家の作品や足跡を保存・研究する一方、今活躍している芸術家の新作展も企画して観光客や住民に刺激を与えている。
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