2000年5月場所での対千代白鵬戦
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「朝ノ霧満」の記事における「2000年5月場所での対千代白鵬戦」の解説
2000年5月場所7日目、千代白鵬との対戦で組み合いの最中に朝ノ霧の廻し(前褌の部分)が急にゆるみ、行司の待ったも間に合わずに陰部が露わになった。このことにより鳴戸審判長(元横綱隆の里)から物言いがついた後「東方力士の前袋が落ちたので西方力士の勝ちとします」と場内に説明。朝ノ霧は勝負規定第16条に基づき反則負け(不浄負け)となった。 これは、1917年5月場所3日目の十両男嶌と幕下友ノ山との対戦で男嶌が喫して以来、83年ぶりの珍事であった。 この取組は翌日の日刊スポーツにおいて一面トップに掲載され、ロイター通信によって世界にも打電された。また、『相撲で最もまれな負け方』としてギネスブックにも掲載された。 当事者である朝ノ霧は原因について「一時的に身体が痩せた際に廻しが余り過ぎたため短く切ったが、身体が元に戻って今度は足りなくなってしまった」と述べていた。尚、この取組の後、新しい廻し(7メートル5600円)を購入し、古い廻しは後年、好角家の漫画家・やくみつるに譲渡された。 両者の対戦はこの1度限りだったが、この取組が縁となり千代白鵬が朝ノ霧の断髪式に出席して鋏を入れた。また、2005年1月場所で千代白鵬が新十両昇進を確定させた際に、朝ノ霧が日刊スポーツから取材を受けたなどの逸話もある。
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